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大阪人の反骨精神と「維新の会」〜「反権力」の分裂(その2)

 なぜ、維新の会が大阪で根強い人気を誇るのか?それは、関西ローカルメディアが垂れ流した「反東京・反中央マスコミ言説」によって生み出された「対象のズレた反骨精神」にうまく橋下・維新の会が乗っかったからである。
 元来、大阪は共産党の強い地域であった。共産党が強いというと京都・高知が有名だが、得票数では大阪が一番多い。大阪は「貧困問題」「公害問題」といった都市の矛盾、資本主義の矛盾が集中的に現れる場所であり、大阪人の反骨精神の強さもあって「東京・中央政府自民党」に対抗するという意識での共産党支持もあった。
 しかし、90年代後半ごろから保守派による「リベラル批判」「中央マスコミ批判」が出てくると、これに飛びついたのが関西ローカルメディアだった。東京のキー局との違い、「東京の番組では言えないこと」を全面に出さないと、潤沢な金をつぎ込む東京発の番組に負けてしまうという意識がそこにはある。「リベラル派の中央メディア」と「保守言論」の対立を、「建前と欺瞞のリベラル派の中央メディア」と「本音と真実の関西ローカルメディア」という形で思想の対立に地域対立を重ね合わせて、関西人の人気を得た。ほんらいは「中央・東京の権力」への反発だったのが、巧妙に「中央メディア」への反発へと対象がすり替えられた。「大阪への郷土愛」を「東京という地域」に対抗する政治運動に動員し、中央メディアの欺瞞を批判する右翼言論こそが「反権力」であり「改革的」な最先端の思想であるかのような言論が広まった。ここに乗っかったのが、橋下である。「大阪発の強力なリーダー」によって「東京に奪われた大阪を取り戻す」というイメージによって強い支持を得た。強権的な政治手法が支持を集め、大阪都構想が支持されたのも、東京に対抗するという壮大な目標があってのことである。
 「反権力」票が共産党に集まっていたのが、橋下の登場によってかなりの票が維新に流れてしまった。全国的に見れば、共産党は90年代後半〜2000年頃に「共産ブーム」とも言える支持を受けたが、その後は党勢を落として、横ばいを続けていた。しかし、大阪に限れば、「共産ブーム」終焉後に支持を落とした後、「維新人気」によってさらに支持を落とすという二段階の支持低落に見舞われた。昨年の参院選共産党は得票を伸ばしたが、大阪に限って言えば、議席を回復したとはいえ、得票の伸びは鈍かった。
 「反権力」がストレートに政権批判・左派への支持にむかう首都圏と違って、「東京メディア」の欺瞞・「東京一極集中」を批判することで右派が反権力票をかっさらってしまったことが、大阪の共産党が伸び悩んでいる要因だろう。
 維新を支持する大阪人の大衆心理、ネトウヨ現象との関連については、また次の記事で。