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大阪ダブル選挙を総括する〜なぜ「反維新」「オール大阪」は敗れたのか

 昨日11月22日、大阪市長選挙大阪府知事選挙の「大阪ダブル選挙」の投開票がおこなわれ、市長は吉村洋文(大阪維新推薦、新人)、知事は松井一郎大阪維新推薦、現職)が当選し、大阪維新が「2勝」する結果に終わった。投票が締め切られた午後八時にNHKは当選確実のニュース速報を流した。開票結果は市長選挙では吉村59万6045票、柳本40万6595票と約19万票差、知事選挙では松井202万5387票、栗原105万1174票と約97万票差、いずれも大差での維新の勝利になった。今回は「反維新」陣営の運動に関わった立場から、なぜ「反維新」「オール大阪」が敗れたのかを分析していきたい。


 結果の分析をする際、僅差の勝敗なら細かい選挙戦術論に原因を求めただろうが、これほど大差の結果になると広い視野をもって分析をしないといけなくなる。私は今回の「反維新」「オール大阪」敗北の背景として以下の4点を指摘したい。
1,「都構想」住民投票と大阪ダブル選挙
2,十分に機能しなかった「オール大阪」
3,「改革」「新自由主義」的な路線を歓迎する世論
4,橋下維新の暴走を許したメディアの責任



1,都構想住民投票と大阪ダブル選挙
 ご存知の通り、5月17日の大阪市の廃止分割を決める「都構想」住民投票では反対派がわずか1万票差で勝利した。橋下市長は政界引退を表明し、都構想とは別の方法で「二重行政解消」を目指すとして自民党の提案した大阪会議を設置した。しかし大阪会議では入り口論で橋下・松井が対決姿勢をみせて話は平行線、なんの議論も進まなかった。大阪維新は大阪会議を「ポンコツ会議」だと罵り、「都構想再挑戦」を表明した。9月以降の各種世論調査では都構想賛成が反対を上回り、都構想再挑戦に理解が広がっていった。それが今回の選挙結果につながったとの見方がある。いわく「自民党が改革に後ろ向きだから」「やっぱり話し合いでは解決できないじゃないか」と。都構想で反対に投じた市民が「反維新」の後ろ向きな姿勢に失望して、維新支持・都構想支持に転じたという見方である。私はそうは思わない。なぜなら、都構想で反対に投じた市民には「今回の都構想の区割り案には反対」「議論が尽くされていない、不十分だから反対」「維新の改革には賛成だが、大阪市がなくなるのは寂しいから反対」という「橋下維新支持、都構想反対」「橋下維新支持、都構想支持、だけど今回の都構想の案には反対」といった市民が少なからずいたからである。だから、住民投票以後の政治的動向で有権者が変化したというよりも、5月17日の都構想の案が消滅したことで、橋下支持・都構想支持というもともとの世論が再び表面化したに過ぎない。私が有権者に接してきた限りにおいては、都構想反対派が考えを変えたという印象はほとんどなかった。橋下支持・都構想支持の人が「5月17日の都構想案」には反対をした、ただそれだけなのである。だから、今回の大阪ダブル選挙はもともと「反維新」には苦しい戦いだった。住民投票の反対票が少しでも維新支持に流れれば「反維新」に勝ち目はないからである。しかし、「反維新」陣営には橋下支持・都構想支持だけど反対に投じた市民をどうやって「反維新」に転じさせるか、説得力のある議論はできていなかったし、そもそも、そういう問題意識自体がなかったような印象があった。住民投票で決着したと勝利の余韻に浸って、市民世論を直視できていなかった活動家は多くいた。


2,十分に機能しなかった「オール大阪」
 住民投票では自民・民主・共産が反対を表明し、公明党も当初は様子見ムードだったが、途中からは反対の立場でポスターを張り出すなど各政党が反対で一致して活動をすすめていた。さらに町内会や一般市民の間にも反対の声が高まり、大阪市がなくなるという危機感から立ち上がった市民は多くいた。お手製のポスターやビラを作ったり、「反対に投票して」と声をかけて回る市民は多くいた。それがまさに「オール大阪」と呼ぶにふさわしい盛り上がりを見せ、維新による巨額の資金を投じた広告戦略や全国動員、橋下の「ワンチャンス」連呼に煽られた市民による賛成に打ち勝つ原動力となった。しかし今回のダブル選挙はどうだっただろうか。自民党は「自民支持層が都構想賛成に流れた」という点を重視して、「自民党色」を強めることで自民支持層を取り込もうという戦略に出た。候補者も市長・知事ともに自民党の現職地方議員を擁立した。大都市の首長選挙としては異例である。他の政党も「自民党はしっかりしろよ」という考えだったので、「自民党色」を強めることに反対はしなかった。しかし結果的には肝心の自民党支持層の取り込みはほとんどできず、むしろ共産党民主党支持層の棄権を招き、無党派層へ広がりも欠く結果となった。公明党は国政選挙での「公明選挙区」に維新が候補を立てることを恐れて、ダブル選挙では消極的な姿勢をみせた。市議レベルでは柳本支援に回った人もいたし、公明支持層の多くは柳本に流れたとはいえ、表立った活動はほとんどなく集票マシーンとして機能することはなかった。共産支持層は「反維新」に理解を示す一方で、自民党候補の支持への抵抗感、政策的に合わない、維新も自民も(保守政党という点では)一緒じゃないか、という批判もあり、維新に流れた有権者は少なかったとはいえ棄権した支持者はいた。選挙で「自民色」が強まるにつれ、その傾向は強まった。数が少ない民主党支持層にも似たような傾向はあった。そして何よりも、住民投票の時に見られた「市民の危機感」「市民が立ち上がる」といった場面がほとんど見られなかった。住民投票の時には熱心に反対を訴えた(活動家でも何でもない)普通の市民は多くいたが、今回のダブル選挙では危機感を持つこともなく選挙を話題にすることもあまりなかった。これまでも大阪維新が市長・知事であり、「これまでの維新の政治が続くだけ」なので危機意識が乏しかった。「オール大阪」の各党は自分たちの支持層を固めたり、公明党や安倍シンパの自民議員のように政局・中央政界を気にして動いたりするばかりで、幅広い市民を巻き込む・無党派層を取り込むことができなかった。


3,「改革」「新自由主義」的な路線を支持する世論
 これはもうずっと続いている現象である。旧来の業界団体や地域団体からの支持を受ける保守政治を「既得権益・利益誘導」と攻撃し、福祉・医療などを重視し労働者の権利を尊重する革新政治を「バラマキ政治、公務員の守護神」などと攻撃するのが「改革」「新自由主義」路線である。小泉自民党新自由主義路線で人気を集め、その後は「改革が後退した」から自民党は支持を失い民主党政権交代民主党が失敗すると維新・みんなの党などの「第3極」政党が「改革」政党として支持を集める、勝利する政党はその都度違えど「改革」を押し出した政党が支持を集め、消極的な政党は支持を失うという点は一貫しているのである。大阪維新もその流れにのって出てきた政党である。他の地域では自民党が「改革」路線を主導しているが、大阪では自民党人気自体がもともと低調だったため、自民党府議松井一郎らが人気者・橋下を担ぎ出して自民党を飛び出して大阪維新をつくった。大阪維新自民党に対して敵対的な路線をとったがために、両者の対立が抜き差しならないものになり、「大阪自民党」は旧右派的な協調・対話重視と「改革」路線の両方を併せ持つ政党になっている。「改革」「新自由主義路線」は都市部中間層に根強い支持を持ち、財界・アメリカの意向とも一致するためマスコミが正面切って批判することはまずない。そういう「改革」にたいする抵抗力のなさ、むしろ歓迎する世論が維新の支持につながっている。


4,橋下維新の暴走を許したメディアの責任
 橋下はテレビを最大限利用し尽くした「テレビ政治家」「テレビの申し子」と呼ぶべき存在である。タレント弁護士としてどうすれば「テレビ受け」できるかを研究し露出度を高め、立ち回ってきた橋下をメディアは「視聴率を稼げるおいしい存在」「コンテンツ」としてもてはやしてきた。その責任は重い。詳しくは今月出版されたばかりの松本創「誰が「橋下徹」をつくったか」に書かれている。近いうちにこのブログでも紹介する。

誰が「橋下徹」をつくったか ―大阪都構想とメディアの迷走

誰が「橋下徹」をつくったか ―大阪都構想とメディアの迷走

長くなってきたので「反維新」「オール大阪」陣営はどうすべきだったのか?今後どうすべきなのか?については次回の記事に回します。