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新保守層とは何か? 現代日本政治の分析

 1980年代以降の日本政治を動かしてきた新保守層とはどういう人たちなのか、どういう特徴があるのかを分析することで現代日本政治の分析をしてみたいと思います。地域団体や業界団体など利権政治・しがらみの政治に代表される旧保守、都市部労働者や貧困層を基盤に福祉・人権・平和を訴える革新、いずれにも与しない勢力として新保守層は1980年代以降存在感を示してきました。新保守層の核になるのは都市部ホワイトカラー層です。旧保守の利益誘導の恩恵はなく、革新勢力のように大企業との対決はしない人々です。
 新保守層の思想的特徴とは新自由主義ネオリベラリズム)と国家主義です(中野晃一「右傾化する日本政治」より)。企業に雇用されるサラリーマンゆえ、企業と対決するよりも企業と協調して自らの生活を維持しようとします。そのため、企業の経済的自由を確保し、企業収益を拡大させる政治を志向します。この点で財界と一致します。具体的には経済活動の規制緩和、行政機構の解体・民営化です。労働組合に所属するサラリーマンも多いのですが、労働組合には懐疑的・否定的です。中曽根政権での公社民営化、小泉政権での郵政民営化、橋下維新による大阪市廃止の大阪都構想、これらすべて行政機構の解体という新自由主義的な改革です。新保守層の新自由主義化は1990年代後半の企業リストラの激化による労働組合不信、公務員バッシングによって加速していきました。ただ、どの政党がいちばん新自由主義的かは目まぐるしく変化していました。1990年代後半は自民党の利権政治へのアンチテーゼとして民主党自由党新自由主義的改革を掲げて台頭しましたが、小泉政権新自由主義を標榜すると民主党はリベラル化しました。小泉以降の自民党政権新自由主義的改革のスピードを緩めると新保守層の支持を失い、民主党政権が誕生しました。その民主党政権が行き詰まると、みんなの党や維新の会が新自由主義的改革を訴えて躍進しました。その第三極も尻すぼみになっているのが現状です。現状の安倍政権は新自由主義的改革をすすめる一方で地域創生や一億総活躍といったスローガンも掲げています。旧保守と新保守を安倍政権が総取りしているのが現状ではないでしょうか。ただ、TPP問題で農協が離反したり、大阪ではアンチ公務員感情を動員する大阪維新が根強い支持をもっているように、「取りこぼし」もみられます。
 新保守層のもう一つの思想的特徴としては国家主義ナショナリズム)があります。中曽根政権、小泉政権新自由主義を掲げる政権は一方で靖国参拝など国家主義的色彩も強いのが特徴です。新自由主義には「旧保守切り捨て」の側面があります。小泉政権郵政民営化は郵政関連団体の離反を招きましたし、橋下の大阪都構想では大阪の自民党が反対運動の先頭に立ちました。「国民切り捨て」のマイナスイメージをカバーするために愛国心や郷土愛・地域愛を過剰に強調してみせる必要がある、それが国家主義の背景にあります。もう一つは、強力な改革を進めるためには、強力な権力が必要になるため、愛国心や地域愛を動員して行政権力の強大化を正当化しているという側面があります。国家主義それ自体が要請されているというよりも新自由主義改革の手段として国家主義が利用されているのではないかと思います。橋下の大阪都構想が否決されると維新の党は分裂して「おおさか維新の会」に改名して地域愛を強調して大阪ダブル選挙を勝ち抜きました。橋下・大阪維新による「大阪都構想」と「大阪の地域政党化の強調」とは小泉政権における「郵政民営化」と「靖国参拝」とシンクロしています。新自由主義的改革とそれを補完する地域愛・愛国心という関係です。
 新自由主義勢力が郷土愛や愛国心に訴えかけるのは旧保守や革新のような「利益の分配」ができない・する気がないからです。大阪都構想では市の財源を吸い上げて企業誘致やインフラ整備・法人税減税などに充てる予定でした。住民サービスや地域活動への補助を削って財界・大企業の利益追求のアシストに専念するのが「大阪都」でした。市民の福祉・生活は悪化するわけですから本来なら市民の大多数は反対に回ってもおかしくないはずです。しかし新保守層は企業利益と一体化した存在ですから企業優位の改革に賛同します。そして不利益を受けるだけの貧困層は「アンチ公務員」「アンチ東京」感情の動員によって都構想賛成に回った人が数多くいました。
 この新保守層が今後どうなるのか?私には二つのパターンが考えられます。新保守層は新自由主義的改革をどんどん後押しすることで「墓穴を掘って」しまいます。新自由主義的改革は貧困と格差を拡大し中間層である新保守層を解体していきます。その大半は貧困層に転落します。貧困層に転落した人々はナショナリズムやアンチ公務員感情に軸足を置く形であいかわらず新自由主義改革を支持し続けるというのが一つ目のパターンです。自らを貧困層に転落させた政治勢力をそれでも支持し続けるという「肉屋を支持する豚」状態になるのではないかという予測です。もう一つは貧困層に転落することで革新勢力に近い政治意識をもつようになるのではないかという予測です。近年の共産党躍進はその兆候の一つではないかと思えます。国家権力を疑い、新自由主義改革を拒否し、人権と平和を希求する勢力になる可能性です。しかし憲法が改悪され基本的人権がないがしろにされ平和主義を放棄してしまえば革新勢力の主張する「憲法を政治に生かす」ことはできなくなってしまいます。その意味でこの参議院選挙は非常に大きな意味のある選挙だと思います。次回はこの参議院選挙の展望について考えてみたいと思います。