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グローバリゼーションは地方都市に何をもたらすのか

 リチャード・フロリダ「クリエイティブ都市論」(ダイヤモンド社)を読んで、グローバリゼーションに思いを巡らせる。

クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める

クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める


 グローバリゼーションとは何か。大辞泉によると、

グローバリゼーション【globalikzation】
国際化。特に経済活動やものの考え方などを世界的規模に広げること。

とある。人やモノ・カネ・情報の移動が世界中で緊密になることを指す。とりわけ冷戦崩壊以降、旧東側諸国が市場経済を取り入れ、自由貿易圏が拡大したことによって、国境にとらわれない貿易が活発となった。

 グローバリゼーションという言葉は20世紀後半から使われ始めたが、人やモノ・カネ・情報が地球規模で移動する現象は、地球上に文明が誕生した頃にまで遡ることができる。アレクサンド大王、シルクロード、十字軍etc、戦争、遠征軍、貿易をきっかけとした文明交流の歴史は長い。印刷技術の発明、新航路の開拓、動力機関の技術革新によって人やモノ・情報の移動速度は飛躍的に向上した。さらに電話・飛行機・自動車・高速鉄道・テレビ・インターネットの発明が、グローバリゼーションをさらに加速させた。このように、グローバリゼーションとは人やモノ・カネ・情報の移動手段の発明に大きく依存している。
 グローバリゼーションによって、私たちは以前の時代では考えられないほどの豊かな物質社会を実現させた。ショッピングモールや巨大繁華街では世界中から集められた食料品や衣料品・工業製品を買うことができる。あらゆるスポーツ・映画・ニュース・音楽を自宅に居ながら楽しむことを可能にし、気軽に海外旅行に出かけられるようになった。公共交通機関の発達は住む場所や働く場所・学ぶ場所の選択肢を飛躍的に広げた。

 鉄道、道路、空港、電話、郵便、テレビなど、新しい移動手段が利用可能になることは、豊かな生活をもたらすと考えられている。日本の地方都市は高速道路や新幹線、空港の誘致を積極的に行っている。地域の住民にとって、新しいインフラの誘致によって生活がより豊かになるという期待があるからだ(公共工事の経済効果への期待も一部にはあるだろうけれど)。新幹線によって巨大都市への所要時間が短くなる、道路によって工場を誘致する、空港によって観光客を誘致する。大都市との距離が縮まることで経済水準の面で大都市に近づきたい、という願望が地方にはある。
 しかしながら現実はそううまくは進まない。
 地方都市は衰退し、大都市はますます発展する。工場やオフィスは大都市に流出し、巨大資本が地方都市に店舗を出し、地場経済は疲弊する。若い人々は大都市に移住する。地方都市に豊かさをもたらすはずの移動手段は、大都市から見れば効率的に地方都市にアクセスし、人やカネを吸い上げる手段に過ぎないのである。その大都市もまた、超巨大都市に人やカネを吸い上げられ、超巨大都市ですら覇権国家アメリカにとっては人やカネを吸い上げるための「植民地」に過ぎない。大都市は製品デザイン・開発や芸術・スポーツ・学問といった創造的活動を、地方都市から吸い上げた人やカネを投入して行い、その成果を売り捌く。地方都市はもはや創造する必要はなく、ただただ受動的に大都市の創り出す成果を享受するだけの存在に成り下がるのである。
 グローバリゼーションには世界を「フラット化」させて、さまざまな制約を取り払い、誰もが対等に競争できるようになる側面がある。インターネットの個人商店や個人ブログのように。「どこでもできる」から、地方にもチャンスがある。だけれども、それを裏返して言えば大都市で創り出した成果を「どこにでも売りに出かける」ことを可能にし、クリエイティブな環境を求めて人々はこぞって大都市へ向かう。「クリエイティブ都市論」が描き出すのは、そのような、グローバリゼーションが持つ「フラット化」「分散化」とは真逆の「集積化」現象である。
 新しい移動手段・通信手段が現れるたびに、人々は「フラット化」「分散化」への期待をかけてきた。電話やFAX、インターネット、テレビ電話などで在宅勤務を可能にし、地方都市でも大都市に太刀打ちできる。もはや大都市のオフィスに通勤する必要は無くなったんだと。しかし、現実に起きたことは、東京都心部の再開発ラッシュ、超高層オフィスの乱立であり、地方都市の中心地の衰退である。

 「クリエイティブ都市論」の具体的な中身については、他のブックレビューにあるので、参考にしてほしい。ポスト工業化社会とは何かを「都市の活動」という観点から考察したエキサイティングな一冊だ。