ナナメヨミBlog

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なぜ鳥越俊太郎は負けたのか?

 みなさん御存知の通り、7月31日投開票の東京都知事選挙野党統一候補鳥越俊太郎は134万票の得票で敗れた。当選した小池百合子は291万票。次点は自公推薦の増田寛也で179万票。公示直前に鳥越氏が出馬表明したときには、直近の参院選の野党票と与党票が拮抗しているので与党票を分け合う小池と増田は不利、野党票をまとめれば鳥越は勝てるという下馬評も多かった。しかし蓋を開ければ3位での惨敗。なぜ鳥越俊太郎が負けたのかを問うことは今後のリベラル・野党共闘を進化させていくうえで避けては通れない。私は大阪市民なので東京都知事選挙は新聞テレビの報道やインターネットで得た情報にしか接していないことを最初に断っておく。

与党と比べて人格・政策・熱意が厳しく問われる野党候補

 そもそも議会政治における野党は政権・行政の腐敗や暴走をチェックし批判する立場である。権力のウソやごまかしを厳しく追及する野党政治家は与党と比べて人格・品行方正がより厳しく問われる。まして、権力を監視するジャーナリストであればなおさらである。鳥越氏は野党候補でありジャーナリストである。もっとも激しく権力を追及してきたからこそ、今回の選挙で吹き出した過去の女性問題はダメージが大きかったし、適切に対処する必要があった。その点、本人の口からちゃんとした説明がなかったのは非常にまずい対応だった。一般的に国民は与党政治家のスキャンダルには甘く、野党には厳しい。与党政治家は「女性や金に汚い」「そういうもの」だと思われているので、スキャンダルが出ても支持者の驚きは少ないし、のらりくらりとかわすこともできる。それを見て「与党の連中もやっているのだから俺もそれくらい問題無いだろう」という感覚があったのではないか。与党のあり方を批判する立場が同じようなことをやっていたのではダメだと思う。女性問題が事実なら真摯に謝罪・釈明すればよかったし、事実でないならきっぱりと否定すべきだった。

都政の政策は「3日で勉強できる」のか

 政策面ではどうか。鳥越氏は公示前日の共同記者会見で政策を問われ「ガン検診100%」とフリップにかかげた。ガン検診が広まれば早期発見で助かる命もあるだろう、それはわかるけれど、東京都知事選挙の候補者の政策の目玉ではないだろう。東京都なら待機児童・介護など子育て・福祉の問題は深刻だし、オリンピックを控えて膨張する予算をどう抑えるか、大地震に備えて都市防災をどのように強化するか、重要な課題は多い。しかし鳥越氏は自らのガン闘病の経験を踏まえた「ガン検診100%」を最初に打ち出した。「聞く耳をもっている」と鳥越氏はいうが、都民の声を聞くより、自分の思いのほうが先走っていたのではないか。そして、「安倍政権打倒」「改憲反対」など国政にかかわるスローガンが中心で都政が置き去りになったのではないか。対抗する小池氏や増田氏の政策がまともだったかといえばそうではなく、「都議会冒頭解散」とか「二階建て通勤電車」など荒唐無稽なものだった。しかし政策においても人格と同様、野党政治家は与党政治家よりもより多くの知識・見識をもって練り上げなければいけない。与党は官僚・役人という行政の最前線にして最強のシンクタンクに乗っかっているのである。野党が与党・行政を批判して対案を提示するには、都民が何に困っているのか、都民の声を聞いて回らないといけないし、それを政策として提示するには、予算がいくらかかるか、財源をどうやって確保するか、そこまで調べ上げないといけない。決して「3日で勉強できる」ものではない。選挙戦に入ってからも「大島では消費税5%にする」とか「東京から250km以内の原発廃炉にする」など都政とのかかわりが不透明であったり、どうやって実現するのかプロセスがまったくわからない政策が突発的に出てきていた。そして、国政のスローガンを都知事選挙に持ち込むのは、確かに憲法が変われば地方自治体のあり方にも影響を及ぼす(たとえば「福祉」「人権」を軽んずる憲法に変われば、地方自治体の福祉政策が後退するのは間違いない)けれども、政策・スローガンの目玉にはなりえない。都政に関する不勉強、都民の声を聞く努力を放棄しているような印象を受けた。
 とはいえ、この政策の乱れは「野党共闘」ゆえに、政策が玉虫色にならざるをえないというところに本質的問題がある。共産党民進党の政策をそのまま取り入れれば、政策としてはまとまった形にはなったが、野党共闘のために特定の政党の政策をまるごと取り入れられなかった。だから中途半端になった感はある。各政党も鳥越氏なら京都大学卒でジャーナリスト経験も豊富だから本人に任せればそれなりにまとまった政策が出てくると甘く見ていたのではないか。

組織力」をどう捉えるか

 都民の切実な声を拾い上げる努力をどの程度していたのか、これは鳥越氏本人の問題というより、野党共闘各党・リベラル派全体の問題だ。「どぶ板」を軽視して、選挙のときだけスローガンを高らかにかかげるだけでは有権者はついてこない。日常的な活動を強化する、「どぶ板」を重視しないと、きめ細かい政策は練り上げられないのではないかと思う。
 私が野党共闘に関して問題だと思うのは「組織力」をどう生かすのかということである。連合とか共産党系団体、市民団体などは労働者や自営業者、地域住民と直に接してさまざまな活動を行っているのに、そこから出てきた声をまとめ上げて政策に反映させる、練り上げる力が弱まっているのではないか。これらの組織を生かすことこそ「組織力」であり野党の強みだと思うのだが、現実には野党各党は選挙のために利用する「集票マシーン」「集金マシーン」くらいにしか考えていないのではないか。自分たちを支持してくれている組織からすら声を聞く努力を怠っているのに、組織以外の都民から声を集めるなど無理な話である。「組織」とどうやって向き合うか、野党各党は反省して取り組みを変えていくべきだろう。

野党共闘の深化にむけて

 都知事選挙での問題点はもっとあると思うが私が指摘するのはこれだけにとどめておく。とにかく、野党に必要なのは共闘するために政策を棚上げにしたり玉虫色にすることではない。各政党が直に支持者や組織と向き合って声を拾い集めること。支持者や組織と共同して政策を練り上げていくこと。そこを放棄してスローガン連呼や劇場型選挙、知名度選挙を仕掛けても勝てない。民主党政権が「政権交代」で失敗したことで、有権者は野党のスローガンには安易に乗ってこないし慎重になっている。この大前提を理解せず「有権者がバカだからわれわれが負けた」ではいつまでたっても与党の思うがままだろう。「大健闘した」で済ませて自己満足していてもだめだろう。私も活動家の端くれとして努力する、だから各政党もちゃんと総括して努力してほしい。

2016年参院選総括

 今回の参議院選挙について当ブログなりの総括をしたい。今回の選挙は改憲勢力が(憲法改正発議に必要な)参議院の三分の二を占めるかどうかが注目された。結果は改憲勢力が三分の二を超えることになった。この「改憲勢力」という言葉が曲者で、改憲賛成の無所属議員は含まれず、民進党議員はひとまとめに「護憲勢力」にカウントされ、どちらかというと9条改定に消極的な公明党改憲勢力にカウントされる。それでも改憲勢力が三分の二を超え、憲法改正発議が可能な状況ができたというのは戦後政治では初めてのことである。今回の参議院選挙、私なりに注目したポイントについての記していきたい。

消えた「第三極」票のゆくえ

 民主党政権が失速しはじめた2010年の参議院選挙ではみんなの党が躍進した。「民主党はだめだ、でも自民党には戻したくない」「かといって社民・共産には抵抗がある」改革派志向の有権者の人気を集めた。民主党が下野した2012年総選挙では橋下率いる日本維新の会が大躍進し、維新・みんなの比例得票は自民党を上回った。しかし、安倍政権誕生後は野党でもなく与党でもない中途半端な立ち位置ゆえに党内がまとまらず、みんなの党は解党、維新は民進党と合併する江田氏・松野氏らの勢力と橋下派のおおさか維新に分裂した。今回の選挙は「おおさか維新」として挑んだため、関西圏以外の有権者からは敬遠された。関西圏以外では「第三極」勢力が消滅した今回、これらの票はどこに流れたのか。
 選挙結果を見る限り、自民、民進、おおさか維新に三分裂したようである。自民党が久々に比例2000万票回復、民進党も比例得票1100万票を超えた。前回選挙に比べそれぞれ数百万票の上積みである。おおさか維新も近畿圏以外で300万票程度を獲得した。自民党安倍政権が長期化し、安倍政権は(旧経世会田中派竹下派的な)いわゆる「自民党政治」とは違い、派閥争いや利権争いが起こらず官邸主導で一枚岩であるため、(小泉郵政改革に熱狂した)改革志向の有権者自民党に回帰したと思われる。一方で民主党も維新離党組と合流し民進党に改名し、下野から3年以上経過したため「民主党政権アレルギー」が緩和したことが得票の回復につながった。それでも両党に否定的な有権者は「おおさか」の看板に目をつむって維新に投票したのだろう。改革志向の有権者の投票行動はおそらく、こんな感じであろう。
 共産党は本来、もっとも急進的な改革派であるのに、改革志向の有権者を取り込みきれていない。2012年総選挙を底に、2013年参院選、2014年総選挙と躍進したが、今回は伸び悩んだ。改革志向有権者は「非共産」志向でもあるのだろう。

18歳選挙権をどうみるか

 今回の選挙のポイントに「18歳選挙権」も挙げられる。選挙前から「18歳選挙権」にまつわる報道は多かった。朝日新聞ではアイドルグループAKB48メンバーと若手憲法学者の木村草太の対談記事を載せ、学校では「模擬投票」「主権者教育」などが活発に行われた。各党も若者向け政策をアピールし「若者が選挙に行かないと若者が損する」といった世代間対立をあおる「シルバーデモクラシー論」も出てきていた。その成果か、18歳・19歳の投票率は45%だった。全体の投票率に比べれば低いが、20代の参院選での投票率が20〜30%台であることを考えると、高めの数字だと思う。この高い投票率は「はじめての18歳選挙権キャンペーン」が張られた今回限りなのか、それとも若年層が政治参加するきっかけになるのか。若い世代は自民党支持が高かったというが、若者が主権者としての自覚をもって社会をよりよくする自覚を持つようになるのだろうか。今後も注目していきたいポイントである。

野党共闘の成否

 今回の選挙では「共産党を含む」野党共闘が行われたという点でも画期的な選挙だった。全国32の1人区では野党統一候補を擁立し、結果は野党統一候補11勝21敗に終わった。事前の予想、現在の野党の力量からすれば上出来な結果だった。しかし改憲勢力の三分の二阻止の目標は達成できず、今後の展望が開けたとは言いにくい。野党がまとまらないと安倍政権を倒せない、野党共闘が必要という世論の切実さはよくわかるし、私は野党共闘には肯定的な立場だ。しかし民進党は維新吸収分以上の得票増加はなく、共産党も伸び悩んだ。野党共闘のわかりにくさゆえ、無党派層を巻き込むムーブメントは起こせなかったのではないか。野党共闘の結果、各党の政策の独自性、エッジの効いた主張がしにくくなり、「立憲主義を守れ」といったあいまいなスローガンばかりが前面に出た印象が強い。今回の選挙では、たとえば大阪選挙区では共産党候補と民進党候補が共倒れしたが、「野党共闘」で候補者調整や「票を流す」ことをもっと活発にしていれば議席が増やせたのでは?という声もでている。そういう「小手先の戦術」をもっと進めること=野党共闘の発展と考える人もいるが私はそうは思わない。各党の政策のすり合わせの深化、とりわけ社会保障とその財源の問題では一致するレベルまでもっていくべきだ。共産党天皇制や自衛隊の段階的解消論など「超長期ビジョン」は有権者の誤解を招くだけなので綱領からはずしたほうがいい。各党が政策をさらに練り上げて競い合いながら、政党そのものの自力を回復する、政党への信頼度を上げることが重要である。まず選挙ありき、票割りや票流しありきの発想からは、新しい有権者無党派層をどう惹きつけるかという視点がまったく欠けている。私は野党共闘は是々非々の対応でもいいのではないかと思う。民進党にも右から左までいるわけだから、改憲賛成議員の選挙区では共産党は共闘せず候補を立ててもかまわないのではないかと思う。

 とにかく重要なのは野党共闘陣営は郵政選挙政権交代選挙、2011年の大阪ダブル選挙で投票率を引き上げる原動力になった「改革志向の無党派層」をいかにひきつけ「改憲新自由主義」マインドから「護憲・生活者重視」マインドへの転換を促すかにかかっている。投票率が70%近くまで上昇すれば、あらたに1600万人近くの有権者が投票することになる。既存の得票の組み合わせを研究するより1600万人の大多数の心をつかまない限り、アベ政治を止めて新しい政治の流れを起こすことはできないだろう。

参院選の争点と展望

 今回の参議院選挙について何が争点か、そして今後の政治がどう展開していくのか考えてみたいと思います。争点について世論調査で上位にあるのは「景気・雇用」「社会保障」といった生活に直結するテーマです。今回だけでなく常に生活に直結するテーマは争点の中心になります。経済政策については「アベノミクス」の是非について考えてみたいと思います。社会保障に関しては財政問題も絡んでくるので、実行される政策は充実策ではなく削減策ばかりになります。充実させようとすると今度は財源をどうするかという問題も出てきて税制の話にもなります。民主党政権は「こども手当」「高校無償化」といった公約を掲げていましたが、財源の問題から中途半端に終わりました。まして年金問題となると必要となる財源の桁が違ってきますし、長期的な設計図も必要になってきます。社会保障は関心は高いですが選挙では議論になりにくいテーマです。続いて関心の高い争点は「消費税」「憲法・安全保障」です。消費税問題は安倍政権が先送りしたことで争点としてぼやけてしまった感があります。憲法問題に関しては、今回の参議院選挙が「改憲勢力が3分の2を獲得するか」が焦点になっていますし、野党が「憲法違反の安保法制廃止」を旗印に共闘しているので本来は主要な争点なのですが、生活との結びつきが意識されにくいため関心はあまり高まっていません。これらの争点について検討しながら、今後の政治の展望を考えてみたいとおもいます。

アベノミクス」の行き詰まりと割れる評価

 安倍政権の経済政策「アベノミクス」とは金融緩和・財政出動構造改革の組み合わせにより経済を浮上させる政策です。しかし財政出動構造改革に関しては見るべき政策がなく、もっぱら金融緩和に頼っています。金融緩和で円安を引き起こし大企業は過去最高益を計上、株価上昇で富裕層に莫大な利益をもたらしました。さらに年金の積立金に株を買わせて株価の高値維持を図ってきました。しかし労働者の実質賃金は5年連続でマイナス、そして個人消費も2年連続マイナスで国民の大半には「アベノミクス」の果実が行き渡るどころかますます生活が厳しくなっています。にもかかわらず、各種世論調査ではアベノミクスに対する評価は五分五分です。なので安倍政権に対する支持も高止まりしたままです。なぜ生活が行き詰まっているのにアベノミクスへの評価が下がらないのか。この理由を分析することなしには野党は安倍政権に対抗することはできないでしょう。国民の多くは自分の生活が苦しい、だけれども株価は高いし企業は儲かっているしとりあえずリストラとか厳しい話はでていない、だからこんなものかと思っているのではないかと思います。若い世代では景気が悪いのが当たり前ですし、失業・リストラも「自己責任」だと考えがちです。「景気をよくする」といってもそれがどんな状態かイメージできない人も多いのではないでしょうか。生活苦を怒りに変えて突き上げるような思考回路や言論が必要ではないかと思います。「本来人間とはこうあるべきだ」という理想像や目指すべき社会を提示することなしには、現状の問題点を浮き彫りにすることはできないのではないかと思います。なんだか哲学的な話になってしまいましたが実質賃金マイナス、個人消費マイナスといった統計上の事態の深刻さがいまいち国民の実感・感覚と結びついていないがためにアベノミクスの行き詰まりが政権批判・野党支持に結びついていないのだと思います。政策を練り上げることも重要ですが、どうやって訴えていくかスピーチをもっと練る必要があるのではと思います。

憲法」を争点に押し上げる

 参議院選挙の情勢調査も出揃い、改憲勢力が3分の2を獲得する可能性が高まっています。自民党・安倍政権のもとで憲法を変えていいのか?もっと争点として打ち出していくべきでしょう。憲法というと9条をどうするかという問題になりがちですが、自民党改憲草案では国民の権利の制限や緊急事態条項などが打ち出されています。国民の権利を制限するということは社会保障政策などで生活にも直結してきます。自民党とは本質的には財界とアメリカの立場にたつ政党であり彼らの考える理想社会は国民のためにならない、ということを野党はもっと訴えていくべきでしょう。そしていまの憲法を守り生かすことで国民の権利・暮らしが守られるという点もあわせて強調すべきです。憲法を変えることの危険性を周知することなくして野党共闘の結束もおぼつかないですし安倍政権の暴走を止めることもできないでしょう。

野党こそ「どぶ板」を

 いろいろと書き連ねましたが、最近のマスメディアは安倍政権の批判をかなり抑えています。批判的なコメンテーターやキャスターは姿を消し安倍政権をよいしょするような報道ばかりです。これまでの野党はマスメディアの援護射撃に助けられていたので、自らの訴えを練り上げなくても国民の支持がついてきました。しかし今のマスメディアは援護射撃してくれません。野党がみずからの言葉でもって国民を説得していく、地道な政治活動・「どぶ板」が必要ではないかと思います。「どぶ板」に関しては自民党のほうが一枚上手です。組織的な結束力では公明党の右にでる者はいません。その辺りの基本的な政治活動の積み上げがないと野党の支持が広がらないのではないかと思います。とにかく、今はマスコミ頼み・敵失待ちではダメだという認識を野党が持たないことには、この窒息的な政治状況は変わらないでしょう。

新保守層とは何か? 現代日本政治の分析

 1980年代以降の日本政治を動かしてきた新保守層とはどういう人たちなのか、どういう特徴があるのかを分析することで現代日本政治の分析をしてみたいと思います。地域団体や業界団体など利権政治・しがらみの政治に代表される旧保守、都市部労働者や貧困層を基盤に福祉・人権・平和を訴える革新、いずれにも与しない勢力として新保守層は1980年代以降存在感を示してきました。新保守層の核になるのは都市部ホワイトカラー層です。旧保守の利益誘導の恩恵はなく、革新勢力のように大企業との対決はしない人々です。
 新保守層の思想的特徴とは新自由主義ネオリベラリズム)と国家主義です(中野晃一「右傾化する日本政治」より)。企業に雇用されるサラリーマンゆえ、企業と対決するよりも企業と協調して自らの生活を維持しようとします。そのため、企業の経済的自由を確保し、企業収益を拡大させる政治を志向します。この点で財界と一致します。具体的には経済活動の規制緩和、行政機構の解体・民営化です。労働組合に所属するサラリーマンも多いのですが、労働組合には懐疑的・否定的です。中曽根政権での公社民営化、小泉政権での郵政民営化、橋下維新による大阪市廃止の大阪都構想、これらすべて行政機構の解体という新自由主義的な改革です。新保守層の新自由主義化は1990年代後半の企業リストラの激化による労働組合不信、公務員バッシングによって加速していきました。ただ、どの政党がいちばん新自由主義的かは目まぐるしく変化していました。1990年代後半は自民党の利権政治へのアンチテーゼとして民主党自由党新自由主義的改革を掲げて台頭しましたが、小泉政権新自由主義を標榜すると民主党はリベラル化しました。小泉以降の自民党政権新自由主義的改革のスピードを緩めると新保守層の支持を失い、民主党政権が誕生しました。その民主党政権が行き詰まると、みんなの党や維新の会が新自由主義的改革を訴えて躍進しました。その第三極も尻すぼみになっているのが現状です。現状の安倍政権は新自由主義的改革をすすめる一方で地域創生や一億総活躍といったスローガンも掲げています。旧保守と新保守を安倍政権が総取りしているのが現状ではないでしょうか。ただ、TPP問題で農協が離反したり、大阪ではアンチ公務員感情を動員する大阪維新が根強い支持をもっているように、「取りこぼし」もみられます。
 新保守層のもう一つの思想的特徴としては国家主義ナショナリズム)があります。中曽根政権、小泉政権新自由主義を掲げる政権は一方で靖国参拝など国家主義的色彩も強いのが特徴です。新自由主義には「旧保守切り捨て」の側面があります。小泉政権郵政民営化は郵政関連団体の離反を招きましたし、橋下の大阪都構想では大阪の自民党が反対運動の先頭に立ちました。「国民切り捨て」のマイナスイメージをカバーするために愛国心や郷土愛・地域愛を過剰に強調してみせる必要がある、それが国家主義の背景にあります。もう一つは、強力な改革を進めるためには、強力な権力が必要になるため、愛国心や地域愛を動員して行政権力の強大化を正当化しているという側面があります。国家主義それ自体が要請されているというよりも新自由主義改革の手段として国家主義が利用されているのではないかと思います。橋下の大阪都構想が否決されると維新の党は分裂して「おおさか維新の会」に改名して地域愛を強調して大阪ダブル選挙を勝ち抜きました。橋下・大阪維新による「大阪都構想」と「大阪の地域政党化の強調」とは小泉政権における「郵政民営化」と「靖国参拝」とシンクロしています。新自由主義的改革とそれを補完する地域愛・愛国心という関係です。
 新自由主義勢力が郷土愛や愛国心に訴えかけるのは旧保守や革新のような「利益の分配」ができない・する気がないからです。大阪都構想では市の財源を吸い上げて企業誘致やインフラ整備・法人税減税などに充てる予定でした。住民サービスや地域活動への補助を削って財界・大企業の利益追求のアシストに専念するのが「大阪都」でした。市民の福祉・生活は悪化するわけですから本来なら市民の大多数は反対に回ってもおかしくないはずです。しかし新保守層は企業利益と一体化した存在ですから企業優位の改革に賛同します。そして不利益を受けるだけの貧困層は「アンチ公務員」「アンチ東京」感情の動員によって都構想賛成に回った人が数多くいました。
 この新保守層が今後どうなるのか?私には二つのパターンが考えられます。新保守層は新自由主義的改革をどんどん後押しすることで「墓穴を掘って」しまいます。新自由主義的改革は貧困と格差を拡大し中間層である新保守層を解体していきます。その大半は貧困層に転落します。貧困層に転落した人々はナショナリズムやアンチ公務員感情に軸足を置く形であいかわらず新自由主義改革を支持し続けるというのが一つ目のパターンです。自らを貧困層に転落させた政治勢力をそれでも支持し続けるという「肉屋を支持する豚」状態になるのではないかという予測です。もう一つは貧困層に転落することで革新勢力に近い政治意識をもつようになるのではないかという予測です。近年の共産党躍進はその兆候の一つではないかと思えます。国家権力を疑い、新自由主義改革を拒否し、人権と平和を希求する勢力になる可能性です。しかし憲法が改悪され基本的人権がないがしろにされ平和主義を放棄してしまえば革新勢力の主張する「憲法を政治に生かす」ことはできなくなってしまいます。その意味でこの参議院選挙は非常に大きな意味のある選挙だと思います。次回はこの参議院選挙の展望について考えてみたいと思います。

日本政治の展望〜「新保守層」を切り口に〜

 4年前にこのブログで「新保守層」という切り口で日本政治を分析しました。

新保守層の時代 - ナナメヨミ日記
新保守層と橋下・維新の会 - ナナメヨミ日記
新保守層の閉塞感と新自由主義改革の「利害の一致」をただせ - ナナメヨミ日記

 地域共同体や業界団体を基盤とする利益誘導政治=「旧保守」、都市部貧困層・労働者を基盤に福祉や格差是正を訴える「革新勢力」という二つの勢力による対決が続いたのが1950年代から70年代までの政治状況でした。当時は地方から都市への人口移動が急速に進み、都市部の労働者は共産党社会党を支持しました。それが革新勢力の躍進、「革新自治体」の誕生に結びつきました。当時はこのままいけば「保革逆転」は時間の問題だと言われていました。
 しかし、高度成長を達成した日本には新たな政治勢力が出てきます。それが「新保守層」です。都市部の住民であり、地域共同体や業界団体の利益誘導政治には否定的、大企業のホワイトカラーであるため企業と対決姿勢をとる革新勢力にも否定的なのが「新保守層」です。日米安保体制、自由主義経済を擁護する点で自民党政治と一致しますが、田中角栄に代表されるような利権政治家に否定的なため自民党にも拒否感があるのが「新保守層」です。社会保障環境保護にも関心が高い点で革新勢力と一致しますが、企業社会の一員である点で企業との対決姿勢はとらない点で革新勢力とは相いれません。この新保守層が1980年代以降どんどん増えていきました。共産党社会党を支持していた労働者層も年齢を重ねて企業で昇進することで新保守層に変化していった人も少なからずいたでしょう。新保守層は特定の支持政党を持たない無党派層です。1980年代は「旧保守」vs「革新」の枠組みで政治が動いていたので、ある時は中曽根政権を支持し自民党に大勝をもたらし、またある時は消費税反対の社会党を支持しマドンナ旋風を生み出しました。1980年代までは新保守層を代表する政党は存在せず、状況に応じて「旧保守」や「革新」に乗っかっていました。
 1990年代になると日本新党新生党新党さきがけなど新保守層のための政党が誕生しました。利益誘導政治・金権政治自民党政治への不信が相まって細川連立政権が誕生しました。その後は新進党民主党が新保守層の受け皿となり民主党政権誕生の原動力にもなりました。民主党政権が迷走してからはみんなの党、維新の会が新保守層の受け皿になりました。しかし、みんなの党は解党し、維新の会は合併・分裂を繰り返した挙げ句に「おおさか維新の会」という地域色の強い政党に変化しました。最近の選挙での低投票率は行き場を失った新保守層が棄権していることに原因があるのかもしれません。新保守層はどこへ向かうのか、そして新保守層自身はどうなるのか、それが今後の日本政治の展望を考えるキーポイントになると思います。その新保守層の分析を踏まえた上で今回の参議院選挙の展望を考えていきたいと思います。

消費税増税延期でみえた「選挙以前の問題」

 参議院選挙投票日まであと1ヶ月です。参議院選挙の争点、展望について書こうかと思っていましたが、「それ以前の問題」があるはずなのに、誰にも指摘されていないのが気にかかったので、今回は「それ以前の問題」について書こうかと思います。

 それ以前の問題、とは先日の安倍首相による消費税増税延期の「理由」に関する話です。消費税増税は当初、2014年4月に8%、2015年10月に10%というスケジュールでした。消費税8%増税は予定通りに行われましたが、消費税増税と円安による物価高で実質賃金が低下し消費も落ち込んだため、2014年末に安倍首相は「消費税増税の1年半延期」を表明しました。その時に「再延期はしない」とも言明しました。しかし、その後も景気の回復は思わしくありませんでした。当然の話です。だって、給料が上がらないのに物価だけが上がっていく状況では、消費に回せるお金はそもそもありません。大企業ではボーナスや給料が上がりましたが、大企業の正社員にしても失業や老後の不安を抱えたままでは、景気良くお金を使うよりもいざという時のために貯金しようと思うでしょう。しかし、安倍首相は「アベノミクスはうまくいっている」「着実に成長している」と繰り返すだけで「アベノミクスの失敗で経済が低迷している」とは決して認めません。だからといって「アベノミクスが成功しているので消費税を予定通りに引き上げる」こともできない。安倍首相はある時から「大震災やリーマンショックのような事態がない限り、消費税は増税する」と言い出しました。「再延期しない」のではなく「例外」を設けたわけですね。4月には熊本地震がありましたが、「大震災」とはなりませんでした。中国経済の失速、日経平均が一時より下落したことはあっても「リーマンショック」も起こっていない。そうなれば、「予定通り増税」のはずなんですが、それはできない。だから突然「世界経済はリーマンショック前夜だ」などとサミットで言い出した。そして、増税延期の理由を世界経済の不調のせいにして「日本経済はアベノミクスでうまくいってるのに、世界経済に足を引っ張られた」という話にしてしまった。サミットで「リーマンショック前夜」という安倍首相の見通しに同意した首脳はひとりもいませんでした。当たり前です。サミット参加国で一番成長率の低い日本こそが世界経済の足を引っ張っているのに、その日本の安倍首相は世界が日本の足を引っ張っているという真逆の主張をしているのですから。

 安倍首相が「リーマンショック前夜」と言い出したのは「消費税増税延期に関する過去の発言との整合性をとるため」という「単なる言いつくろい」にすぎない、というのは私もマスコミも国民の大半もなんとなく理解しています。首相本人だって「リーマンショック前夜」だなんて本気で思っていない。そもそも「リーマンショック」の時に何が起こったのか?日経平均株価は一時7000円割れまで暴落し、派遣切りで住宅を失って「派遣村」が出現し、大学生の内定取り消しは社会問題になりました。「リーマンショック前夜」だというなら、年金積立金の株式投資は縮小すべきだし(株価の暴落を予想しながら株を持ち続けるバカはいません)、非正規雇用に対するセーフティネットを拡充して「リーマンショック」に対して備えをすべきでしょう。それが一国の最高責任者がなすべきことです。しかし安倍首相は消費税増税を延期するだけで、他には何も語りませんでした。本来なら一国の最高責任者が「リーマンショック前夜」などと発言することは、それ自体が投資家に株価下落の不安を与えて株価下落を現実のものにしてしまう「予言の自己成就」効果があります。だから、そんな経済見通しに同意する国家首脳は誰もいないし、そもそも自らの発言の影響力を考えればそんな見通しを披露すること自体躊躇するのが当たり前です。首相自らが恐慌の引き金を引いたとなれば、マスメディアからも首相としての資質を問われ厳しく批判されることを覚悟しないといけない。しかし安倍首相にそんな躊躇も覚悟もない。どうしてか?それは「自分の発言なんてそんな対して影響力はないだろう」「マスコミに圧力かければマスコミをコントロールできる」「どうせ国民はバカだからマスコミが批判しなければ何もわからないだろう」とタカをくくっているからです。思ってもいないウソをついて平然としていれられる、自分もメディアも国民も「所詮その程度」だと考えている人間が一国の最高責任者に居座っている、そして国民も「政治家なんてその程度」だと分かったような顔をしている、「その程度の政治家が居座ることによる日本社会のリスク」なんて微塵も考えようとしない人が多くいる。そこに政治の劣化、メディアの劣化、国民世論の劣化を感じずにはいられません。

 わたしが「それ以前の問題」だというのは、この劣化のことです。これから1ヶ月で状況が大きく変化する可能性は低いけれども、それでも少しでも「異常な政治状況」をただしていくために力を尽くしていきたいです。

熊本地震で考えたこと

 今年初めてのブログ更新です。昨年は5月の都構想住民投票、11月のダブル選挙と地元・大阪の選挙が相次いだので維新批判をテーマにした記事が中心でした。とくに松本創「誰が『橋下徹』をつくったか」の書評記事は著者本人のツイッターで言及されたこともあり、いままでにないアクセス数・ブックマークを記録しました。それで調子に乗って書評記事もいくつか載せていたのですが、年明けから仕事が忙しくなり、読書したりモノをゆっくり考える余裕を失ったのでブログの更新は止まっていました。自分自身に余裕が出てきたので、これからはボチボチと記事をアップできたらと考えています。

 今回のテーマは熊本地震です。私は生まれも育ちも現住所も大阪なので地震の直接の被害はなかったのですが、住宅倒壊による死者・インフラの被害は甚大、今でも多くの方が避難生活を強いられています。震度7地震は今回含めて4回目ですが、そのほかは阪神大震災新潟県中越地震東日本大震災と最近21年のあいだに起きています。震度7が制定された戦後まもなくから40年以上発生していなかった震度7地震が最近21年間で4度も発生したのです。しかも地震が比較的すくなく安全とされ、耐震基準も緩く、地震保険料のランクも低い熊本県で今回の地震が発生しました。
 私は阪神大震災のときは小学生だったので死者の多さに衝撃を受けただけに終わり、中越地震は報道量が少なかったせいかあまり記憶になく、東日本大震災津波被害・原発災害という「特殊な災害」に関心が向いていました。なんとなく大震災とは「特殊」であり「他人事」のような気分だったのですが、今回の熊本地震を受けてはじめて、日本で暮らす以上、大震災には確実に遭遇するものなんだという意識に変化しました。日常的な防災意識、備蓄、災害時の生活ノウハウ、さらには災害を前提とした生活設計、そういったことを考えるようになりました。そこでオススメなのが「東京防災」です。これは東京都が作成した防災に関わる本なのですが、災害時の対処方法、避難生活のノウハウなど一通り網羅してあってわかりやすいです。イラストをふんだんに使っていて、項目別に分かれているので読みやすいです。東京都に関わる部分以外は誰にでも役に立ちます。しかも電子書籍版は無料で手に入れられるので、私はKindleアプリにダウンロードして読んでいます。


東京防災

東京防災


 熊本地震で印象にのこった点としては、ドローンを活用した被災地の撮影、スマホ・インターネットによる支援の呼びかけなど東日本大震災の時には普及していなかったテクノロジーが活用されていることです。スマホが普及したおかげか、人的被害が甚大ではなかったせいか、安否確認は比較的スムーズに進んだような気がします。東日本大震災の時は1週間たっても被害の全容をつかむことすら困難でした。熊本地震では支援のあり方・エコノミークラス症候群・「不謹慎叩き」など報道の焦点が地震被害そのものから次の段階に移っているのは安否確認がほぼ済んでいるからだと思います。
 私が今後考えていきたいのは、日本では誰でも被災者になりうるという前提で生活のあり方を見直す必要性があるということです。キーワードは「ミニマリスト」「捨てる技術」。これらは地震被害から出てきた思想ではないですが、形あるものは壊れる・モノを保管・管理する手間を考えれば、モノを捨てるミニマリスト生活というのも選択肢になります。モノを多くもてばタンスや本棚などの家具も多くなり、地震で家具の下敷きになるリスクもあります。また、住宅ローンで一軒家を買っても地震で壊れてしまえば、多大な負債を背負うことになります。日本では持ち家志向が強いですが、災害の多さを考えれば、住宅を所有するリスクについても考えなければいけません。
 もう一つは震災直後の支援に関してです。スマホ・インターネットといった情報ツールは発達していますが、一方で物流網は進化しているとはいえ、インフラが被害を受ければ機能しません。それで情報だけ先走って、遅れて消費しきれない大量の物資が送られてくる、といったちぐはぐが問題になっています。食料や日用品だけでなく、避難者のストレス解消・エコノミークラス症候群などモノ以外の支援の重要性も浮き彫りになりました。その根本にあるのは「情報とは何か」という問題だと思います。パソコンやスマホタブレットといったデバイスやアプリ・ネットサービスこそがITだというイメージが強いですが、情報の元にあるのは人間一人ひとりのニーズであり、それをすくい上げるのもまた人間です。我慢・忍耐こそが美徳だという風潮があり、「被災者」は「我慢・忍耐するもの」という意識があると、「◯◯が欲しい」「◯◯で困っている」というニーズを抑え込むことになり、ストレスを抱えたり病気になったりなど別の問題を起こすことになります。災害時でも秩序を守って混乱が生じないというのは日本人の美徳だと思いますが、いきすぎると欲求を抑え込むことによる問題を生み出します。情報網の構築や情報デバイスも重要ですが、ニーズを発信する、現場でニーズをすくい上げる人を育てることこそが「本当の情報化」ではないかと思わされました。