ナナメヨミBlog

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「反維新」「オール大阪」の総括と今後の展望について

 前回に引き続いて大阪ダブル選挙について考える。選挙後、報告集会に参加する機会があった。そこで口々に語られたのが「反維新」「オール大阪」陣営は「訴えにくさ」を抱えながら選挙を戦っていた、ということである。維新陣営が「過去に戻すか、前に進めるか」というキャンペーンをはり、自民・共産の「野合批判」を繰り広げる中で、「反維新」はその釈明に追われる、守りの選挙戦になってしまったことは否めない。自民、民主、共産、いずれの政党も支持層を固めきれず無党派層への広がりに欠く結果となった。では、どうすればよかったのか?その答えは前回記事で挙げた敗北の要因とつながっている。


1、「都構想」住民投票と大阪ダブル選挙
 もっとも問題だったのが5月の住民投票の反対票70万票が今回のダブル選挙の「柳本」「栗原」票に結びつかなかったことにある。なぜか?それは住民投票の反対票には「橋下は支持するが、都構想は支持しない」「橋下や都構想は支持するが、今回の都構想案には反対」「よくわからないから反対」といった(状況や理解の度合いによっては賛成になりかねないような)「弱い反対票」がたくさん含まれていたからである。住民投票で都構想が否決されると市民の多くは都構想のことは忘れてしまって、今回の選挙を迎えた。選挙戦では維新は「過去に戻すのか」「反維新は野合」などとキャンペーンを繰り広げ、市政4年間の教育予算を増やした、公務員の給料を下げたなどの実績アピールに走った。争点が「維新市政の継続か否か」になってしまって「問題だらけの都構想を再び掲げる」ことが争点にならなかった。「都構想」の本当の問題は「大阪市民の税収が大阪府に吸い上げられ、大型開発・成長戦略のインフラ整備に使われる。一方で住民サービスは切り捨てられる。街づくりや市民サービスの予算・権限を大阪府に奪われ、住民自治が破壊される」という「市民切り捨て、住民自治壊し」にある。都構想の本質について理解が深まれば「バージョンアップされた都構想」で何であれ、都構想はダメ=維新はダメと考える市民は増えただろう。しかし、そうはならなかった。「反維新」陣営は当初、「都構想はもう終わった話」として都構想批判よりも「強い経済、教育」などをテーマに選挙活動を繰り広げた。都構想を争点から外したことで維新の本当の問題点について理解が広がらず、維新の繰り広げる攻撃に受身で釈明に追われる結果になってしまった。「弱い反対票」の多くは住民投票のことは忘れて「吉村」「松井」に投票するか棄権するかした。一方で住民投票で反対に投票した人で、今回のダブル選挙の争点を都構想だと見ていた人は、ダブル選挙を住民投票の延長線上にあるとみなして「柳本」「栗原」支持に回った。「都構想」こそ維新の最大の弱点であると見抜けなかった「反維新」「オール大阪」の主張のわかりにくさ・迷走が今回の選挙戦を決定づけた。
 今後の展望を考えると「都構想」=「市民切り捨て、住民自治壊し」こそが本質だということを徹底的に広めることが重要になる。地名が変わるとか区役所が遠くなるとか××区とくっつくのが嫌だとかいったのは都構想の本質的問題ではない。都構想では大阪の未来は切り拓けない、それどころか市民が切り捨てられ民意も届かない「暗黒の自治体」になってしまう、「巨大開発の失敗」を再び繰り返すだけになる。都構想の本質的問題点を広めて問題だらけの都構想を看板政策に掲げる大阪維新は市民の立場にたった政党ではないということを浮き彫りにしていく必要がある。

2、十分に機能しなかった「オール大阪」
 「オール大阪」の足並みをどうやって揃えるか?これも課題である。足並みがそろわなかった理由は自民党首相官邸(安倍、菅)と党本部・大阪府連で温度差があり、さらに党本部も維新との取引を画策するなど自民党内部がバラバラだったことが大きい。候補者を擁立しておきながら、党の内部に足を引っ張る人がいるようでは選挙戦を戦うのは大変だった。公明党には「公明選挙区」を巡って維新への配慮があり、民主・共産は国政で対立する自民党の候補者を支援することへの抵抗感があった。こういった足並みの乱れをどうやって克服するか?それは「国政で対立している政党が協力せざるを得ないほど維新・都構想に問題がある」という「維新の特殊な危険性」を浮き彫りにしていくことしかない。その点で1番目に指摘した都構想の本質を広めることが重要になる。

3、「改革」「新自由主義」的な路線を支持する世論
4、橋下維新の暴走を許したメディアの責任
 これらはいずれもメディアの問題と捉えることができる。「新自由主義」路線を礼賛し、橋下の攻撃的な暴言や強権的振る舞いを「リーダーシップ」「突破力」「発信力」などと持てはやしてきたのが現在の橋下人気、維新人気に結びついてきた。これを覆すのは並大抵ではない。私たち市民にできるのは草の根の運動、市民との対話、ブログやSNSなどインターネットの活用によって旧来のメディアを包囲していくことしかない。幸いにも最近は「テレビ離れ」している人が増えてきている。「テレビ離れ」がテレポリティクス(テレビ政治)脱却のきっかけになる可能性は十分にある。また、テレビによる維新偏向報道に対して抗議の声を上げていくことも効果的だろう。とにかく、地道な努力が必要になる。重要なのは「橋下の手法を取り入れよう」と考えないことである。暴言や対立によって注目を浴びる手法を駆使して橋下に対抗しようとすれば、攻撃の応酬になり市民の分断・対立をさらに深めるだけである。そこに民主主義的議論や対話の可能性は存在しない。あくまでも地道にコツコツと広げていくしかないように思う。


 以上、とりとめもなく思うままに書き連ねたが、これから注視すべきは橋下の動向だろう。テレビ局が橋下人気をあてこんでテレビ番組に起用したり冠番組を持たせるようなことになれば橋下の発する「毒」が大阪の市民にますます広がっていくことになる。公共の電波を特定の政党の指導者である橋下氏に乗っ取られることを許さないよう、抗議の声を上げることも必要になるだろう。