ナナメヨミBlog

旧ナナメヨミ日記。Blogに移行しました。

グローバル化時代の政治

 安倍政権が発足して年末で2年になる。安倍政権のアベノミクス、消費増税路線とは「国民への負担押し付け」政策であるのだが、反対世論が広がることも無く、大企業が儲かって株価が上がることを日本人の多くは自分のことのように喜んでいる。私は前回の記事で「国民の弱体化」と呼んだが、この現象の本質にあるのは「グローバル化」だろう。

 グローバル社会とは人・モノ・資本・情報の国境を超えた移動が短時間・低コストで実現できる社会である。交通インフラ、インターネット通信、金融決済機能などの技術革新と政府による法規制の緩和によって年々、国境の壁は低くなりつつある。優秀な人材が良い待遇を求めて国境を超えて移動する、資産家が収益性の高い外国の株式や債券に投資する、企業が人件費が安く有望なマーケットにすばやく進出する、消費者がインターネットを利用して外国の安い商品・優れた商品を購入するetc。20世紀では難しかったことが今の時代では容易に実現できる。

 政府としては優秀な人材や資産家、大企業が国外に流出するのは雇用や富が減って税収減・経済低迷を招くのでなんとしても避けたい。だから、高額所得者や資産家、大企業を優遇するための税制・補助金規制緩和を行なうことになる。グローバル化以前の時代には応能負担として相応の税金を支払っていた資産家や大企業は「重税を課すならば国外へ出て行くぞ」という脅しによって自分たちに優位な政策を政府に実行させるようになった。政府よりも強いのが資産家や大企業なのである。

 一方で国内には世界を股に架けて活躍するほどではない労働者も多くいる。中流ホワイトカラー、工場労働者、非正規雇用、こういった人たちは先進国の国民であることによって、中国や東南アジアなどの発展途上国・中進国の国民よりも高い賃金、恵まれた社会保障制度を享受している。特別な技術・優位性を持たない中小企業も日本の優れたインフラや人材に依存して低収益ながらも存続している。彼らは「日本というシステム」なしでは生きられない存在である。だから、「あなたたちが相応の負担をしないと日本という国家は破綻します」という脅しを政府から受けると、渋々従うことになる。消費税増税原発再稼動、集団的自衛権、すべての問題で「日本国の危機」をてこに国民に不利益やリスクを背負わせるようになっている。労働者や中小企業よりも政府が強いのである。

 「労働者、中小企業」対「資産家、大企業」の関係では言うまでも無く「資産家、大企業」が圧倒的に強い。国民の大半は資産家・大企業や政府よりも弱い立場にある。これがグローバル社会における政治の力関係の中心にある。

 日本の政治を巡る有権者の態度とは、この「グローバル社会の力関係」を認識しているかどうか、認識した上でどう動くか、その2点で特徴づけられる。多くの国民はグローバル社会の力関係を薄々認識してはいるのだが、「自分たちは弱い立場にいる」という現実を突きつけられるのは辛い。だから「大企業が利益を上げることで自分たちにおこぼれが来る」とか「強い実行力のある政府によって自分たちの生活・社会が守られる」といったふうに、「国民多数派の負け」という現実から目を背けて「実は勝っているんだ」と読み替えるようになっている。企業や政府が強くなるというのは国民の富や安全・人権を売り渡した末に実現されるものなのに、強い企業や政府の存在が自分たちを守ってくれる、だから自分たちの利益や権利はいくら手放しても構わない、といった倒錯した理屈がまかり通っている。
 日本の国民がよりよい社会を望むならば、まず「グローバル社会の力関係」において国民の大多数は弱い立場にいることを自覚しないといけない。
 そして「弱い立場」を自覚した上でどう動くのか?これまた多くの国民は「弱いのはしょうがない」と大企業や政府が自分たちの利益・権利を侵害することを無抵抗にぼんやりと眺めている。どうやって対抗するか、自分たちの利益・権利をまもっていくか、思考を巡らせて対抗するための陣地を築いて行動することが大切になる。中高年は企業社会の言いなりになり、若者は「勝ち組」のなかにいかに滑り込むか、投資や就活で勝ち抜くことを日々考えている。そうではなくて「国民大多数の立場」を突き詰めたうえでどうやって抵抗するか、その策を考えないといけないだろう。その先にグローバル化を克服する道がある。