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消費税増税は中止すべきです〜「企業支援」の経済政策から「国民支援」への転換を!

 10月1日、安倍首相は2014年4月からの消費税8%への増税を表明した。そして、同時に5兆円規模の経済対策の実施も発表した。その経済対策の中身は「復興特別法人税の前倒し廃止」「投資減税」「給料増の法人への法人税減税」「大型公共事業」「低所得者への簡素な給付措置」と大企業のための政策ばかりだ。

 消費税増税には「景気条項」、つまり景気が十分に回復していることが条件だったはずで、10月1日発表の各種経済統計を踏まえて最終的に決断するとのことだった。しかし、日銀短観のうち大企業の製造業・非製造業の数値はプラスだったものの、中小企業はマイナス、さらに失業率は上昇して給与も15ヶ月連続の下落、家計消費支出もマイナスと景気回復とは言い難い数字が並んでいる。にもかかわらず、大手新聞は「日銀短観の改善」を大見出しにして、さも景気回復したかのように誤認させている。「汚染水は完全にブロック」発言にしてもそうだが、政策の適否以前に、事実関係の認識そのものが間違っていることが安倍首相の言動では目立つ。しかし、「別の政策」を提案する能力も意欲も失った今の日本国民の多くは、嘘を平気でつく安倍首相を「仕方が無い」と支持し続けている。この国民の無気力は「民主党政権への期待と崩壊」によるものとはいえ、そろそろ卒業して、政治家の資質や政策の適否を冷静に見極めないと取り返しのつかないことになるのではないかと心配である。

 さて、消費税増税について。
 当初、消費税増税は「社会保障」「財政再建」のために必要だとさんざん宣伝されていたが、いざ実施となると「消費税増税すると景気が悪くなるから経済対策」となって、消費税増税の税収を法人税減税の財源に充てようという話にすり替わっている。「景気が悪くなる」という批判は「だから、消費税増税を中止せよ」という主張につながるはずだったのだが、増税批判を巧妙に利用して、経済対策の名の下に「企業優遇政治」をまたもや復活しようと言うのだから呆れた話である。

 大企業が元気にならないと給料も上がらないじゃないか、雇用や設備投資も増えないじゃないか、という主張もある。これは一理あるが、これまで消費税導入時、5%への増税時、いずれも法人税減税とセットになっていた。消費税導入時はバブル経済だったからそれでも給料は上がったが、5%増税時には法人税減税したにも関わらず、消費税増税による不況が凄まじく、給料は下がった。それからずっと給料は下がりっぱなしである。
 トリクルダウン論者の不思議なところは、「大企業が儲かる→国民の所得が増える」というロジックで大企業支援を正当化するのに、「国民の所得が増える→消費が増える→企業の利益が増える」というロジックには否定的なことである。「国民の所得をまず増やす」政策は「大企業を弱らせる」「福祉バラマキ」「勤労意欲を低下させる」と否定して「まず企業から」と主張するのがトリクルダウン論者である。しかし、大企業が儲かっても国民の所得が増えなかったのが「失われた15年」の結論である。なぜか?大企業は労働規制緩和、買い手市場の労働需給といった条件を利用して、労働者の買い叩き、賃下げ・リストラによって利益を増やすことに夢中になった。だから、大企業が儲かるというのは「国民の所得を大企業の利益に付け替える」ということだったのだ。「国民の所得を大企業の利益に付け替える」ことを政府や国民が一体となって応援しても、国民の所得が増えるわけが無いのは当たり前の話である。なのに、政治家・官僚・マスコミ・御用学者が一体となった「トリクルダウン理論」の大合唱は、その当たり前のことすら国民に考えさせないのである。恐ろしい話である。

 いくら「経済対策」で景気の腰折れを防ぐと言っても、消費税増税で消費自体が冷え込むのだから景気が落ち込む。企業は給料増には慎重になるし、日本国内での設備投資なんてもっと慎重になる。ギリギリの生活をしている国民から金を巻き上げて、法人税を支払うほどの利益を上げている大企業に金をバラまいたところで賃金にも設備投資にも回らず、預貯金のまま眠るか海外投資に回るかのいずれかだ。経済対策のマクロ経済への寄与はほとんどないだろう。

 いま必要なのは「消費税増税の中止」である。そして、「まず企業をどうやって強くするか」という視点から出てくる経済対策を改め、「まず国民をどうやって安心させるか、将来に希望を持てるようにするか」という視点で社会保障制度を改革し、現役世代の雇用と生活の質を改善する政策が必要なのである。
 経済成長を達成しきったともいえる日本社会では、「もっと豊かに、もっと便利に」という経済成長のために無理する必要は無いし、望んでもいない。「いまの生活水準・社会制度を子孫の代まで引き継ぐ」という社会の安定・持続可能性こそ、政治の目標とすべきなのである。