ナナメヨミBlog

旧ナナメヨミ日記。Blogに移行しました。

「後ろ向き」な東京オリンピック

 2020年のオリンピック開催都市が東京に決まった。招致レース終盤には福島第一原発の汚染水問題がクローズアップされて不利かとも言われていたが、蓋を開ければマドリードイスタンブールに大差をつけての勝利だった。マスメディアは「オリンピック利権」もあるから祝賀ムード一色、国民も多くは好意的に受け止めている。しかし、「ナナメヨミ」ばかりしてしまう私からすれば、なんとなくモヤモヤしたものがある。
 一つには大阪に住む人間として、大阪オリンピック誘致と比べて、「東京オリンピック」だと政府やマスメディアの姿勢・力の入れようがずいぶん違うなという不満。もう一つには、オリンピック反対派の多くの人も同じように考えているだろうが、原発問題や経済不振、財政問題社会保障不安など国の政治の問題がオリンピックを理由にして棚上げされてしまうのではないかという不安。「汚染水は完全にブロック」されていると安倍首相は言い放ち、オリンピックの経済効果で好景気が来ると財界やゼネコンがはしゃぎ、将来不安をオリンピックがあるからいいじゃないかと誤摩化す。オリンピックを大義名分にどさくさにまぎれて無駄な公共事業に税金がつぎ込まれる可能性もある。この国の抱えている難問に真摯に向き合いつつ息抜きとしてオリンピックを楽しむのならいいのだが、現実逃避の手段としてオリンピックが利用されるのなら、この国の将来は暗い。
 そして、もう一つ。それはオリンピックを祝賀する人が「日本の明るい未来」を展望するのではなく、「下り坂の国・日本」で最後に盛り上がろうじゃないかという、沈没寸前のタイタニック号で饗宴に明け暮れるような気分を内に秘めているのではないかという「後ろ向きさ」に不安がある。東京タワー、新幹線、東京オリンピック、カラーテレビ。これが戦後復興から高度成長期の日本を象徴していた。それが21世紀にはスカイツリーリニア新幹線東京オリンピック、8Kテレビ。新しい希望のように見えて、昭和の日本の成功体験・栄光にすがるような気分があることに不安を覚える。21世紀は20世紀の延長であると同時に、20世紀的な産業社会(大量生産・大量消費・エネルギー浪費社会)の転換を目指さないといけないときに、この日本では20世紀・栄光の日本の「耐用年数」をむりやり引き延すことに懸命になっている。世界に東京をアピールするというが、20世紀にすがる日本が世界に何をアピールできるのだろうか?と疑問に思う。
 このように書くと私は東京オリンピックに反対しているように思われるだろうが、実は私は東京オリンピックには大賛成である。オリンピックの施設・インフラの大会後の維持を考えると東京でしか採算は取れないだろうし、この国の将来が見通せない中でとりあえず2020年には明るいイベントがあるというのは国民を勇気づけることになる。オリンピックの「国際平和」の理念を発信できるのは、「平和国家」日本をおいて他に無いという思いもあるし、オリンピックを名目にインフラ更新など懸案がスムーズに進むメリットもある。だけれども、日本全体が過去の栄光にすがって「前向きに見せかけた後ろ向き」の罠に嵌ってしまうことが怖いのである。オリンピックを楽しみに待ちわびつつ、「ポスト・産業社会」「超・少子高齢化社会」を乗り切るビジョンの構想、その具体化について、いろいろ考えて発信していきたい。