ナナメヨミBlog

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日本政治・経済の閉塞状況、「維新の会」で打開できるのか?

 私は大阪府下に在住し、職場は大阪市内にある。ちかごろ、政治が話題にのぼるとそれは「維新の会」への期待であったり、反発であったり、ともかく「維新の会」が話題の中心となる。橋下徹に期待する、といってもそれは全面的賛成ではなくて,
是々非々なんだけれども、橋下が何かを変えてくれるんじゃないかという漠然とした期待感が広がっている。反対派は福祉サービス削減、教育への政治介入、地下鉄民営化、職員への思想調査問題など、橋下の「福祉切り捨て」「教育・思想信条への権力的介入・抑圧」「労働組合敵視の企業優遇政治」への反対という点で明確である。
 
 橋下・維新の会は矢継ぎ早に政策を打ち出し、パフォーマンスを繰り広げ、橋下の発言は毎日コロコロと変化する。橋下の繰り出す幻影に惑わされて、橋下・維新の会が何をめざそうとしているのか、掴みきれていない国民が多いのではないか。橋下・維新の会の本質とはなにか。それを理解するには、橋下・維新の会で一貫している部分と、その一貫した政策によって「誰が得をするのか」というのをきちんと見極めないといけない。

 橋下・維新の会に一貫する態度、それは「労働組合敵視」である。市職員の労働組合を犯罪の温床であるかのように煽り立て、労働組合の強い教職員への政治的圧力を強める。労働組合弱体化の行く先は、使用者(役所なら首長や政治家、企業なら経営陣)への抑圧・酷使に抵抗できない「使用者言いなりの弱い労働者」を生み出すことになる。労働組合が弱体化すれば、企業は首切りや賃下げ・サービス残業・配置転換を容易に行えるようになるし、経営者団体は税制や社会保障などでの企業負担の軽減化など、企業の利潤追求の妨げになる要素がどんどん排除され、日本という国が企業が利潤追求するための草刈り場になってしまうだろう。こういうふうにいうと「でも、企業が儲かれば雇用が増えるし賃金も増えるからいいんじゃないの?」と考えるひともいるだろう。だが、ここ十数年、日本経済では、「大企業が儲かれど、中小企業・労働者には還元されない」という状況が続いている。つまり、大企業の利潤追求のためにかまけた結果がいまの閉塞感の原因なのだから、ここから更に大企業が利潤追求しても、それで日本経済がよくなることはない。まして、組合弱体化によって大企業の利潤追求を促進したところで、大企業がわざわざ「弱体化した、声をあげない労働者」に利益分配をしようと思うだろうか。「今我慢すれば、そのうちいいことがある」という日本国民に根付く素朴な感覚を利用して、利益分配をひたすら先送りしながら、痛みを国民に押し付ける、それが「大企業優先政治」である。自民党政治がかつてそうであり、今は民主党も大企業優先政治、そして、新しい政治勢力に見える維新の会もその点では同じ、むしろより過激化しているのである。だから、維新の会にはまったく期待できない。

 にもかかわらず、維新の会に期待する向きが強いのはなぜなのか?それは「小泉政治」「2009年政権交代」についての総括がきちんとできていない、つまり政治・経済の何が問題でどこを改めるべきか、という「何を守って何を変えるのか」という改革をする際の視点が欠落したまま、ただ単に「変化」そのものに期待してしまうという、国民の問題意識の欠如・それを見えなくさせてしまうメディアや政治家・企業、そこに問題がある。2009年政権交代とはなんだったのか、それはまた次回。