ナナメヨミBlog

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経済成長の幻想

 リーマン・ブラザーズ破綻からもうすぐ二ヶ月。金融不安で株価は暴落し、円・ドル以外の通貨も急落した。金融立国の理想国家と持て囃されたアイスランドの経済は破綻した。連鎖的な金融機関の破綻、金融市場の麻痺による金融商品の価値暴落、インターバンク市場の金利急騰。不動産バブルとクレジットでこの世の春を謳歌した欧米消費市場の急減速。各国政府はなりふり構わず金融機関に公的資金を投入し、時価会計も凍結し、協調利下げに踏み切り、一時のパニック状態から落ち着きを取り戻しつつある。アメリカの市場主義への信頼は失墜し、新自由主義路線の共和党政権は支持を失って民主党オバマ政権へ「チェンジ」した。

 国内経済でも大学生の内定取り消しや派遣労働者の雇用打ち切り、建設・不動産業の破綻ラッシュ、磐石とみられていた国内製造業の相次ぐ業績下方修正。政治的にみても小泉政権新自由主義路線から麻生政権の財政政策での景気テコ入れと流れは変化しつつある。

 市場主義の失敗とみる向きは多い。だけれども、そもそも市場主義とは、経済成長が限界に達した先進国が、なんとか経済成長を持続させようとして打ち続けたカンフル剤のようなものだ。カンフル剤も打ち続ければ効き目は弱くなるし、ホルモンのバランスが崩れて身体を壊す原因にもなる。カンフル剤の副作用とでも言うべき現象がこのたびの経済危機なのだろう。

 経済成長が頭打ちになると、自由な経済活動を認めることで「市場化されていない領域」を商品化し新たなマーケットを作り出す。教育・医療・福祉・・・、かつては地域や家族が担ってきた活動がマーケットで供給される商品へと変貌した。自由競争によってサービスの質が高まることで、社会的にはメリットが大きいという。しかし、質の高いサービスを受けるにはより多くのお金が必要になる。結果的に経済的に豊かな人々が質の高いサービスの消費者となる一方、貧しい人々は苦難に直面する。それは、単純に質の高いサービスを消費できないだけではなく、教育・医療・福祉などが商品化することで、「無条件の相互扶助」そのものが社会から失われるという苦難である。

 かつての高度成長は家電製品や自動車、多様な日用品・生活用品など、「今までに存在しなかったモノ」が技術革新によって商品化されることで新たなマーケットを生み出した。それは同時に工業化された社会、急激な都市化を招いたが、みんなが豊かさを手にすることができた。一方でここ10年ほどの経済成長は、デジタル家電や携帯電話・インターネットなど、「今までに存在しなかったモノ」が果たした役割も大きいけれど、一方で規制緩和によるいきすぎた商品化・・・タコが自分の足を食べて生きながらえるような・・・によって、社会そのものが疲弊した感はある。その究極が労働力の切り売り・・・派遣労働の蔓延だろう。

 今回の経済危機は、経済成長によって豊かになるという幻想を打ち砕く良い機会だろう。貧しい境遇にある人々は、手持ちの金銭の少なさゆえに貧しいのだと考える。そして、金銭収入を増やすことで豊かになろうとする。しかしそれは、金銭でしか豊かさは買えないという狭量な価値観をますます蔓延させることになる。人間の活動エネルギーが賃労働に集中投下され、金銭的価値で豊かさを計量する一元的社会から脱皮することが私たちには必要なのだ。