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格差社会問題・・・不毛な議論を打開するために必要なこと

 格差社会・・・「勝ち組」「負け組」に二極化した社会・・・への関心がここ数年で急激に高まった。いかにして格差社会を是正するのかという問題は小泉政権末期以降の主要な政治的課題になっている。そこでは、何をもって格差社会とするのか、かつての社会は平等社会だったのかといった論証を抜きに、格差社会の存在を自明のものとして議論が進められている。歴史的にみれば、大企業と中小・零細企業の二重構造問題、保護者の経済的事情による進学断念など、高度成長期〜安定成長期にかけても格差は存在していた。一方で、日本の主要産業である自動車・家電に代表される製造業内部での所得格差は、現在でも大きくない。格差社会問題とは未来への希望に目を奪われる時代が終わって、足元で起こっている現実に目を向けることで表面化した、人々の社会認識をめぐる問題という側面が強い。とはいえ、現実で進行しているのは、アルバイト・派遣などの低賃金で働く非正規雇用の増加であり、経済的な所得格差とその結果としての資産格差、格差が次の世代に持ち越されることによる社会的不平等という問題は徐々に現れつつあるように思う。

 非正規雇用の労働者・・・とりわけ、ロストジェネレーションに代表されるような「かつてなら正規雇用でそれなりの社会的地位に就けたはずの層」・・・の間での格差社会への問題意識は強い。しかし、社会全体でみれば、何となく問題だという程度にとどまっている。それは現代の格差社会の「負け組」といっても、絶対的窮乏で餓死したり、明らかに劣悪な衛生環境での労働を強いられたりしているわけではないからだ。アフリカの紛争地域の難民のような絶対的な貧困状態、あるいは終戦直後の焼け野原を基準にすれば、「何だかんだ言っても恵まれている。贅沢言うな。」と考える人も多いだろう。「生きさせろ!」(雨宮処凛)というけれど、住む場所もあってテレビも携帯電話も所有して餓死する心配も無いじゃないか、そういう意見は根強く存在している。当事者である非正規雇用の労働者たちは目の前の具体的な経済問題を訴えて「分け前」を政治的に多く勝ち取ろうという方向性に進んでいる。最低賃金の引き上げや日雇い派遣の禁止など、実際に政府の政策として進んでいるものもある。とはいえ格差是正策の効果は限定的であり、かといって高度成長期〜バブル崩壊までの完全雇用状態への回帰はありえない。それは日本の社会構造・産業構造や国際的な政治関係、科学技術の水準etc複数の要因が絡み合って実現した特殊な状態であり、政府や企業レベルで動いてもどうにもならない。「大した問題じゃないよね」という人々と「政治的に解決しろ」と訴えるも明るい展望を描けない当事者たちを前にして、大多数の人々は手を拱いている状況になりつつある。

 かくして格差社会をめぐる議論は行き詰っている。政治的に分け前を要求し続けたところで、もともとの分け前が限られている以上は限界がある。これだけあれば十分という水準も見えてこない。モラル・ハザードを招く可能性も高い。労働者が数の力で状況を打開するという展望(極端になると革命だ)もありうるが、前提条件として格差社会がますます進行して大多数の人々を「負け組」に引きずり込まないといけない訳で、本末転倒だ。

 この行き詰まりを打開するには、全員が乗っかっている議論の土台から一旦降りて根源的な問いかけから始めないことにはどうしようもない。現代的貧困には物質的豊かさでは克服できない困難さ(豊かさを目指すほど貧困が進むパラドックス)があり、一方で格差社会なんて問題ではないという意見にも妥当性がある。経済問題という枠組みを外して、もっと広い視野で捉えて初めて格差社会をめぐる議論の糸口が見出せるように思う。