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自動車はなぜ売れないのか 「憧れ」から「手段」へ

 自動車の販売台数が年々低下しているという話題をよく耳にする。自動車メーカーの幹部も頭を抱え、日本市場を捨てて海外市場に活路を見出そうとしているようである。そもそも、自動車が売れないのはなぜか。

自動車が憧れだった時代

 マイカーが普及する以前、人々は遠出することがほとんどなく、旅行するにしても鉄道で「決められたルート」を移動するだけだった。自由な移動への憧れが人々の間にはきわめて強かった。それが、自動車が登場し、一家に一台持てるようになることで、都市近郊のレジャーやショッピングモールでの買い物が楽しめるようになった。さらに「恋愛のアイテム」として若者が自分のクルマを所有することが流行した。自由な移動という、未知の世界への憧れで人々はこぞって自動車を買い求めたのである。

イカーの時代、自動車の黄金期

 昨今、クルマが売れないのは、自動車への憧れが人々の間で薄くなり、それに代わる価値観が広まったからだろう。マイカーが当たり前になると、マイカーで来店する顧客目当てに、外食や小売企業は幹線道路沿いに次々と店舗展開しはじめた。レジャー帰りの人々の、ちょっとした贅沢をしたいという大衆なささやかな欲望を満たすファミリーレストランは人気を集めた。休日の手軽なレジャースポットとしてショッピングモールには、大勢の家族連れが訪れた。
 大衆的な「自由な移動への憧れ」が自動車の価値を規定していた時代には、自動車の価値は、計測不可能だけれども、非常に高かった。そして、マイカーが普及すると、自動車の価値は「レジャーを手軽に楽しむための手段」という尺度によって規定されることになった。「レジャー」とはすなわち、家族や友人、恋人とのプライベートな時間に対する価値だから、これは人によるものだけれども、それでも低くはなかったし比較考量可能なものではなかった。

「手段としての自動車」の時代

 しかし、自動車移動を前提とした都市開発、商業施設・住宅・企業・公共施設の展開が進むと話は変わってきた。自動車の価値が「楽しむもの」から「必要な手段」へと変化したのである。この変化によって、「自動車があると便利だから(自動車がないと不便だから)」という意味で自動車の価値は上昇する。だけれども、「必要な手段」となると「他の手段」との比較考量にさらされることになり、自動車だけが持つことを許された「かけがえのなさ」が失われてしまった。
 コストパフォーマンスという視点から自動車の価値が値踏みされたことで、自動車の価値は暴落してしまったのである。自動車ローン、各種税金、保険料、ガソリン代、車検費用、駐車場代etcの経済的なコストの高さに加えて、交通事故や渋滞のリスク、飲酒できない・交通ルールの遵守etcの制約、そのような心理的コストの高さもクローズアップされて、人々は自動車から遠ざかってしまった。そこに、バブル崩壊以降の不況が追い打ちをかけた。経済危機の中で、日本人は労働者としての「経済的価値」が値踏みされたことで、消費生活や日常の生活空間にも「経済的価値」という尺度を持ち込むことが当たり前になってしまった。

自動車広告の皮肉

 自動車各社は補助金・減税による販売拡大や、燃費のよいエコカーに打開策を見出しているようだが果たしてどうだろうか。政府が自動車に優遇策を出すという状況自体が、「自動車の手段性」を強調していて、「どうぞ他の交通手段と比較してください」という隠れたメッセージを発している。エコカーの燃費の良さは魅力だけれども、自動車のトータルコストからすれば ごく僅かな節約しか期待できない。コストパフォーマンスという観点では他の交通手段とは勝ち目のない自動車が、宣伝広告で燃費という「コストパフォーマンスの指標」を強調するのは何とも皮肉な話だ。 

メーカーは「適正規模」を探れ

 自動車とは、少なくとも日本においては、限られた状況において有利な交通手段の一つだと割り切って考えるのがよいのだろう。自動車が日本の製造業のエースとして活躍する時代は終わりつつある。自動車メーカーは過剰な生産設備をリストラして「適正規模」を探る時代が来たのだろう。