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麻田雅文「シベリア出兵」(中公新書、2016年)

 近代日本の戦争といえば、日清・日露戦争満州事変から日中戦争・太平洋戦争の話がほとんどである。日本史でも詳しく説明されているし、映画や小説・漫画で取り上げられるのもこれらの戦争である。日本の歴史でシベリアといえば、シベリア出兵よりも大戦後のシベリア抑留のほうが有名である。この本では、そんな「忘れられた戦争」であるシベリア出兵の全貌を描いている。私のシベリア出兵に関する知識といえば、米騒動の引き金になった、ロシア革命の影響を抑えるために列強が介入した、その程度の知識しかなかったので非常に勉強になった。
 まず、シベリア出兵が画策されたのはロシア領内にいる「チェコ軍団」救出のためだった。「チェコ軍団」とはオーストリアハプスブルク家の支配から逃れてロシアに移住したチェコ人、スロヴァキア人の子孫や、第一次大戦でロシア軍の捕虜になったチェコ人、スロヴァキア人からなる部隊である。彼らはオーストリアと戦うロシアに協力することでチェコ・スロヴァキアの独立を目指していた。しかし、革命後のソヴィエトはドイツ・オーストリアと講和してしまい、チェコ軍団はロシアに居場所を失った。ソヴィエトと講和したドイツは東側の戦線がなくなったため英仏との西部戦線に集中できる。英仏はチェコ軍団を利用してロシア側にもう一度戦線を再建しようとする。そのためのチェコ軍団救出がシベリア出兵の大義名分となった。
 シベリア出兵は列強による共同出兵となったが満州朝鮮半島、サハリンの利権死守・拡大の野心を持つ日本は他国よりも多く出兵して撤退も一番遅れた。さらに日本はシベリアに親日傀儡政権をつくろうと様々な工作を試みるも失敗に終わる。北東アジアの利権争いという面では、シベリア出兵は日清・日露戦争の延長線上であり、軍部が先走って進軍したり傀儡政権の工作をする様は満州事変〜日中戦争の前哨戦のような面もある。当時の日本は軍部が先走っても最後は政府が押さえ込んでいたので撤退に持ち込めたし、政府は欧米列強との協調を重視していたので満州事変以後のような国際的孤立にまでは至らなかった。当時の政治家は撤退論者が多かったにもかかわらず、いざ首相になると「成果を出すまでは撤退できない」と撤退を渋るようになる。さらには元老・山県有朋や軍部などが政治プロセスに介入してくる様が詳しく描かれている。
 このシベリア出兵をちゃんと反省して総括していれば、その後の歴史は大きく変わったのではないか。しかし日本政府や軍部、国民世論はシベリア出兵の顛末をすっかり忘れてしまって、戦争にのめり込んでしまった。いまの日本では安保法制が施行され、自衛隊が戦争に巻き込まれてもおかしくない時代である。しかしこれから起こる事態は日清・日露戦争や両大戦のような全面戦争ではないだろう。シベリア出兵のように国際協調による共同出兵の形をとるだろう。そう考えると、シベリア出兵についてきちんと学ぶことは、これからの日本の安全保障・自衛隊派遣のあり方を考える上でも大切だと思う。この「忘れられた戦争」は今こそ、日本人が学ぶべきではないだろうか。