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大阪ダブル選挙の争点とゆくえ

 いよいよ大阪ダブル選挙(大阪市長大阪府知事選挙)がスタートした。大阪市民である私は定期的に大阪維新・橋下政治の問題について取り上げてきたので、ダブル選挙について触れないわけにはいかない。今回の選挙の争点、そして今後の大阪の政治のゆくえについて考察してみたい。

 まず、今回の選挙の争点は「大阪維新・橋下の政治手法の是非」であり「大阪市を廃止する大阪都構想の是非」である。

 橋下氏は知事・市長時代を通じて、対立と分断を煽る「劇場型政治」によって注目され支持を集めてきた。空港政策をめぐって霞ヶ関を「ぼったくりバー」とののしり、「クソ教育委員会」などと暴言を吐いた。それでも知事時代はその対象は国や教育委員会などの組織に対してであったが、市長になってからは「大阪市民はぜいたくをしている」などと市民サービスを受ける市民を攻撃したり、地域振興会への攻撃など市民にたいするレッテル貼り・暴言が相次いだ。レッテル貼り・暴言によって「炎上」させて観客席にいる市民の支持を集めて強引に政策をすすめるのが橋下の政治手法であった。そこでは本来重視されるべき議会や住民との合意形成は意識的に軽視され、対立と喧嘩ばかりがクローズアップされることになった。このやり方は「テレビの視聴者」として「観客席」から眺めている市民にとっては「面白い見世物」であり「わかりやすさ」「リーダーシップ」「実行力」を印象付けることになるが、まきこまれた当事者たる市民にとっては市民サービス削減による不利益だけでなく、自分たちの意見を聞き入れてもらえない疎外感・無力感にさいなまれ、「市民の敵」「既得権益層」として攻撃されるまでなった。住民の間に対立と分断を持ち込む大阪維新の政治手法は、地域との関わりの薄い「若年・中年ホワイトカラー、新規移住組の都市部中間層」「地域や社会から疎外されていると感じる貧困層」という二つの支持層を中心に支持され、「大阪発の政治運動」という大阪ナショナリズムの意識が下支えすることになった。
 このような大阪維新・橋下流の政治は短期的には行政コストの削減や自らの支持率上昇など大阪維新・橋下にとってのメリットがある。既存の政治に不満をもつ維新支持層にとって重要なのは「短期的に目に見えるわかりやすい成果」であり「閉塞感を打ち破るかのような変化」である。だが、長期的に見れば市民サービスカットによる市民生活の悪化や地域活動の停滞、文化の衰退をもたらす。こういったものは「長期的で数字では表しにくい」ものであるがゆえ、「目に見える成果」を重視する劇場政治では軽視されることになる。さらに、橋下政治が長期化することによって大阪市民の中には橋下のようにふるまう市民(対立する意見・市民を激しく攻撃し、市民の分断・対立を煽る)が出現し、市民の間では政治に関する話題・議論を控える風潮が広がり市民を萎縮させている。
 今回のダブル選挙は「大阪維新・橋下流政治」を終わらせて、「政治の正常化」を実現しなければいけない選挙である。そう考えると「右とか左とか」言っている場合ではないのが今の情勢である。従来的な「保守vs革新」という枠組みで市民本位の政治をめざすべきというのが私の考えだが、現状は革新勢力にそこまでの力がなく民主主義政治自体が危機にさらされているので、保守・革新の垣根を越えて民主主義的な合意形成・協調による政治を取り戻すことが最優先になるだろう。

 そしてもう一つは「大阪市を廃止する大阪都構想」の是非である。この大阪都構想では大阪市民の市民サービスのために使われる財源が大阪府に取り上げられ、カジノなどの大型開発や法人減税・補助金などに使われるため、市民サービスは確実に低下する。大阪維新は「自民党による過去の巨大開発の失敗」を批判するが、結局は「自民党に代わって大阪維新大阪府大阪市一体となって巨大開発すればうまくいく」と主張している。これは「巨大開発そのものの失敗」を認めず、行政組織や政党の問題へのすり替えであり、大阪維新による新たな利権政治を生み出すだけである。
 大阪都構想には「市民サービスに使う財源・権限を市民から奪う」という仕組みが最初からビルトインされているので、区長や区議会議員を選挙で選べるようになったところで市民サービスの向上など望むべくもないのである。大阪市議会で明らかになった「二重行政削減の効果額」がほとんどないことと合わせると、大阪都構想は住民にとってメリットがないことは明らかである。
 にもかかわらず、対立と分断を煽り、反対する市民を「市民の敵」だと攻撃する大阪維新・橋下によって、都構想は「市民vs既得権益」の問題にすり替えられ、メディアもまともに報じず、巨額の費用を投じた維新の広告宣伝により多くの市民が「政治の変化」「閉塞感の打破」を期待して賛成に投じることになった。それでも反対が勝利したのは市民の良識が残っていたことの表れであるが、本来なら大差で否決されてもおかしくない問題だらけの構想が僅差にとどまったことに民主主義の危機が現れている。ウソをついてでも、市民をペテンでだましてでも、選挙に勝てばなんでも構わないという大阪維新・橋下政治の総決算が都構想の住民投票だった。このような政治を終わらせることなくしては、まともな議論はできないと断言できる。

 とはいえ、大阪維新以前の政治にも問題点があった。それは巨大開発の失敗であり、職員厚遇・不適切なコネ採用であり、各政党の票田ではない都市部中間層の軽視である。自民・公明・民主・共産といった各政党が組織内部を固めることに躍起になる一方で無党派層である都市部中間層を軽視したことが、「反既成政党」の大阪維新・橋下を生み出すことになった。都市部中間層をどうやって地域活動・市民活動の担い手として参加させるか、「政治からの疎外」を起こさせないか、大阪の民主主義を鍛え上げることなくしては「大阪維新、橋下的なるもの」からの決別はできないだろう。そのためには政党・市民の地道な努力が必要になるだろうし、専門家・有識者の知見も結集することが必要になるだろう。

 今回のダブル選挙で「大阪維新・橋下政治」を終わらせる、これに尽きる。