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新自由主義の政治勢力を支えるのは誰なのか? 橋下・維新の会の正体。

 大阪維新の会橋下徹を押し上げる力とは何なのか?

 ひとつは、都市部中間層を主体とする無党派層による「旧保守・革新」憎悪にある。しかし、無党派層の支持は票にはなっても、資金・組織・安定した集票を期待することはできない。大阪維新の会が巨大勢力にのし上がるには、自民党出身の市議・府議の後援会組織だけではとても追いつかない。国政進出をぶち上げたところで、なかなか裏付けがない。そこに、「新保守層」=「無党派層」政党、「改革勢力」の限界がある。
 民主党は連合が資金・選挙支援の組織・集票マシンとして機能してきた。しかし、実際に政権交代を後押ししたのは「無党派層」の票があってこそである。無党派層は自分たちが投票という形で意思表示することで「民主党は国民のための政治をしてくれる」と期待した。だが、民主党の資金・組織を支えるのは連合である。だから、無党派層の声よりも大企業御用組合である連合の意向(=すなわち、無党派層のうちでは上流に属する都市部サラリーマンの意向)が大きく反映される政治が展開された。連合は企業別労働組合の集合体=大企業の利益追求と一体化した存在であるゆえ、最終的には民主党経団連とたいして違いのない主張(原発再稼働推進、消費税増税賛成、TPP賛成)をするようになってしまった。
 「無党派層」政党、「改革勢力」の限界、それは組織・資金的な支援を無党派層がしないために、最終的には一部の支持組織に乗っ取られ、無党派層の利害と対立してしまうという点にある。民主党を乗っ取ったのが、「連合=経団連」連合という経団連政治=自民党政治と瓜二つの主張をする政治勢力であった。資金・組織が選挙の要である(なければ、選挙カーの運行もポスター張りも演説会も成り立たない)以上、維新の会も同様の問題にぶち当たることになる。では、維新の会を資金・組織面で支えるのは誰なのか?それこそが「維新の会の正体」と呼ぶにふさわしい。

 大阪維新の会橋下徹新自由主義・「グローバル競争」「都市間競争」を主張する。新自由主義の「競争的社会」観が橋下自身の生い立ち(被差別部落でもまれてのし上がり、 ヤクザ・風俗・サラ金業界という「生きるか死ぬか」の裏社会と深く関わってきた)と 重なるから、「厳しい競争こそ必要であり、それが社会の現実だ!」という橋下自身の思想信条と新自由主義が共鳴することになる。そして、土建業にとっては、「都市間競争に勝ち抜くため」という大義名分で淀川左岸線・関空アクセス鉄道・港湾整備などの大型公共事業を推進できるので、橋下を支持するようになる。

 新自由主義と親和的な心情・感覚をもつ橋下徹は、「現実社会を批判し改良を主張する理想主義者」=教職員・共産党・学者など、「生きるか死ぬかの生存競争にさらされない集団・組織」=公務員・外郭団体・文化団体など、を厳しく批判することになる。これもまた、小さな政府・経済活動の自由化を主張する新自由主義勢力と共鳴し、一方で税金による公共事業で食いつなぎたい土建業・利権政治家にとっても福祉削減による公共事業への予算投下につながるので支持される。

 ここに見られるのは財界大企業(公的セクターの縮小・経済活動の自由化により利潤獲得のチャンスを増やし、一方では税金による公共事業・補助金獲得を企む)、それと結託した地方の有力者(土建業・企業経営者)の連合である。彼らは、大阪維新の会を利用して、規制緩和経済特区補助金・優遇税制を手に入れ、公共事業による利権政治の温存・延命を狙っている。「利権政治」というのは「無党派層」にとっては対立するはずなのだが、橋下は「無党派層=庶民」の敵を「公務員とその取り巻き」に絞って徹底攻撃することで幻惑しているのである。

 大阪維新の会橋下徹が目指す新自由主義の政治は、旧保守勢力と革新勢力を叩き潰す点で無党派層の溜飲を下げるが、そのあとにくるのは「無党派層の大半が底辺層に転落」する社会である。新自由主義社会は一部の勝ち組と大量の負け組を生み出し、寄る辺なき底辺層がうごめき、社会不安が増大する。新自由主義による社会不安・混乱につけこんで勢力を拡大したい新興宗教勢力(統一教会幸福の科学創価学会など)は新自由主義と結託する。新自由主義政治勢力は根無し草、組織を持たないから、新興宗教の集票力・組織力・資金力を当てにする。新自由主義新興宗教連合によって、一部の企業・富裕層だけが肥え太る。 貧困層は、宗教勢力に取り込まれることによって、貧困・格差・不平等・劣悪な社会保障・悪化する雇用といった社会の問題を「個人の問題」「倫理の問題」という自己責任・倫理道徳の問題と認識するようになり、政治によって改善すべき問題だと考えなくなる。保守勢力=社会批判・権力批判を封じ込めたい勢力と新興宗教というのは、非常に相性がいいのである。自民党清和会と統一教会との親密さがその一例である。中間層・貧困層の憎悪を煽って権力を獲得した新自由主義勢力は、転落した貧困層の問題を政治的課題とはせず(個人の問題・倫理精神の問題にすり替えて)、その境遇の不遇につけこんで、貧困層新自由主義政治勢力を支えるコマ(=新興宗教信者)にしようとするのである。

 統一教会と関係の深い人物が公募区長となり、維新の会議員には幸福の科学信者がいるといわれ、公明党創価学会は維新の会を側面支援している。維新の会と新興宗教勢力は結託する方向に確実に進んでいる。

 資金・組織を財界・土豪(土着の保守勢力)、新興宗教に依存する「大阪維新の会」・橋下徹の政治の着地点、それは国民の生活・福祉とは無縁の暗黒政治である。国民の不幸・不遇を原動力にして、労働力=国民を買いたたきたい財界、福祉よりも土建事業を優先する土豪勢力、不幸・不遇にかこつけて勢力拡大を狙う新興宗教勢力、かれらが跋扈する政治が、日本の閉塞感を解消して、国民を豊かにする可能性などゼロである。むしろますます閉塞感を高め、矛盾を深めることになるだろう。そうならないためにこそ、国民一人一人が冷静に、政治家・政党の正体を見極める「人を見る目」を養う必要があるのだ。