ナナメヨミBlog

旧ナナメヨミ日記。Blogに移行しました。

格差社会を生み出すもの

 はてなダイアリープラスに加入してアクセス解析を眺めていると、「格差社会」というキーワードで訪れる人が多いことが分かった。なので、格差社会について改めて考えてみたい。テーマは「格差社会を生み出すものはなにか」である。
 結論からいうと、IT化(機械化)とグローバル化、この二つである。
 IT化(機械化)は作業を効率化し、人員削減をもたらす。タイピストや集計係といった、オフィスの単純労働者は駆逐された。仕事にありつけた人がいる一方、仕事にありつけない人がたくさん生み出されれば所得格差は当然拡大する。
 IT化はまた、仕事の役割分担の仕方を変える。工場での製造工程、個人商店では現場で働く人が創意工夫を凝らし、付加価値を生み出してきた。その分け前は現場の労働者に分配される。しかし、ITにより一元的に管理された最新鋭の工場、コンビニ・外食チェーンにおいては、企画立案や工程管理はホワイトカラーが集中的に行う。現場労働者はマニュアル通りに動くことを求められる。創意工夫の余地はなく、「付加価値に対する分け前」はホワイトカラーに集中する。現場労働に努力の余地はないから付加価値は生み出せず、低賃金で固定化される。役割分担が決まった時点ですべては終わっているのだ。
 グローバル化によって企業は労働者を世界中から調達することが可能になった。コスト勝負の製造工場の海外移転。IT化とのシナジーでコールセンター業務を中国に移したり、IT業務をインドに外注したりすることも可能になった。競争相手が増えれば、賃金切り下げ競争がおこる。グローバル化とは、旧共産圏、旧植民地が市場経済のプレイヤーとして本格的に登場してきたということだ。

 このような格差社会で、「努力すれば報われる」のだろうか。IT化、グローバル化以前の時代には、現場労働者の日々の仕事には努力の余地があった。仕事を通じて技能を蓄積すれば、食いっぱぐれることはなかった。しかし、今の時代、「努力の余地」はホワイトカラーに集中し、企業は作業工程を個人の技能に頼らない形に変えつつある。かつての日本に溢れていた「努力の機会」は急速に失われている。そうすると、努力の機会を奪われた人々は、努力しない生き方を選択し、格差社会に拍車をかけてしまう。山田昌弘が指摘した「希望格差社会」における意欲の格差というのは、こういうことなんだろう。内田樹が「下流志向」で指摘した教育・労働から逃げる若者というのも「努力の報われない社会」に対する適応なのかもしれない。
 そういう意味では、様々な「努力の機会」を意図的に作り出すことに、格差社会を食い止める鍵があるのかもしれない。

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)