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「危機の宰相」

 沢木耕太郎「危機の宰相」(文春文庫)を読む。

危機の宰相 (文春文庫)

危機の宰相 (文春文庫)

 池田勇人「所得倍増」を巡るルポルタージュである。宰相・池田勇人とブレーンの下村治(エコノミスト)、田村敏雄(宏池会事務局長)、彼らの「ルーザー」としての軌跡を追いながら、「所得倍増」がいかにして産み落とされたのかを描いている。


 日本経済には力強い成長力がある。悲観論によって、総需要をいかに総供給の範囲内に押さえ込むか、というように問題を立てるのは誤っている。充実した供給力に需要を追いつかせることが政策的に必要な段階にきているのだ、と。しかし下村のこの発想は、(中略)、永く「邪教」と見なされていた。
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 だが、日本経済が巨大であるということを国民の誰もが疑わない現代においてではなく、いったい日本がどこへ行くかもわからなかった一九五〇年代の半ばに、「日本経済には力強い成長力がある」といいつづけることがどれほど困難なことであったか。
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 経済論壇は日本経済への悲観論で満ちあふれていた。
 高度成長政策への批判には、「経済成長が二重構造と不可分であり、所得格差は経済成長とともに拡大するほかない」という考え方がある。高度経済成長は所得格差をはじめとする問題を生み出す、都留重人はそれをスピードを出した自動車がはねる「泥」に例えた。この論争は「経済成長か格差是正か」をめぐる現代の論争とオーバーラップする。
 旺盛な設備投資というファクターに着目した、下村の高度成長理論は現実のものとなる。そして、高度成長が終焉した1970年代に入るとゼロ成長論者へと転じる。欧米諸国の技術を猛スピードで取り込み、積極的な設備投資を続けたことが高度成長の最大の要因だと下村は考えた。ならば、「ゼロ成長」論を唱えることは不思議ではない。欧米諸国に追いついた日本は自前の技術革新で経済を成長させなければならない、高度成長のようなスピードはもう望めないからだ。


 経済環境が変化した一方で政治はどうだったか。


 佐藤内閣の政治経済思想は、池田が一九六〇年代前半に遺したものの無定見な「増補版」にすぎない。かれらは、一九七〇年代の政治を主導する新しい活力の溢れる言葉を、ひとつとして産み落とせなかった。(中略)、田中角栄の「日本列島改造」は「所得倍増」の壮大な「増補決定版」であったといえるかもしれない。
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 だが、田中以後も依然として七〇年代における「保守の思想」が新たに見いだされてはいない。
 沢木氏は田中角栄の「日本列島改造」を「所得倍増」の延長線上に見る。高度成長の「果実」を日本列島の隅々にまで行き渡らせるために「日本列島改造」を構想した。だが、見方を変えれば、高度成長がもたらした「ひずみ」に対する処方箋・・・利権誘導という露骨な政治的思惑の絡みついた処方箋とも受け取れる。都市部の「所得倍増」と地方の「改造」、この二つが「車の両輪」として機能する保守政治が幕を開けたのだと私は見る。

 「危機の宰相」は福田赳夫内閣当時に書かれたルポを下敷きにしているため、以降の情勢には触れられていない。1980年代以降の自民党政治を特徴づけるのは経済成長路線の政策と、地方発展の政策としての公共事業、「所得倍増」と「列島改造」の焼き直しでしかない。依然として新しい活力の溢れる言葉は生み出されていないのだ。経済成長と生活向上のつながりも薄れ、公共事業も財政的に困難になりつつある。戦後復興を果たした1950年代後半の日本、池田勇人の優れた政治的勘とブレーンの情熱が「所得倍増」を生み出し、実を結んだ。21世紀の政治のレゾン・デートルはまだ見えてこない。