ナナメヨミBlog

旧ナナメヨミ日記。Blogに移行しました。

だめ!

 90年代末にちょっとしたムーブメントになった「だめ連」。最近ではめっきり聞かなくなった。検索してみても情報がほとんど出て来ない。そういうわけで図書館でだめ連編「だめ!」(河出書房,1999年)を借りて読んでみた。なんで今更「だめ連」なのか。格差社会とかワーキングプアとか・・・市場経済の下層に位置づけられる人々は、所得の低さゆえに悲惨な生活で救済すべき対象として語られているが、それは一面的過ぎるのではないか・・・そんな疑問を持つと、オルタナティブとしての「だめ連」が浮かび上がった。

 だめ連とは何なのか。「だめ!」より引用する。

ごく一般には就職して結婚して、というようなライフスタイルが正しい人生とセットになって語られることがまだまだ圧倒的に多いと思うわけです。まあ、でも別にそれ以外のライフスタイルがあったっていいじゃないかということで、就職とか結婚とかをせずに(一部している人もいますが)、自分の人生をつかってそれ以外のさまざまなライフスタイルのありようを友人たちと関係を作りつつ群れながら、実験する、あるいはせざるをえない人々のつどい(メンバー制ではありません)、というかんじですかね。(略)「自せん他せんを問わずダメな人がダメをこじらせないようにいろいろやるつどい」というかんじになります。
 「正社員として就職して出世する」「結婚して子供をつくり家庭を築く」、こういった人生を歩んでこそ一人前だという風潮は強い。しかし実際には、サラリーマン文化に馴染めなかったり、異性関係でつまづいてしまったりで、就職や結婚ができない/続かない人は多い。そういうときに「ダメ問題」が出てくる。
「ダメ問題」というのは、人からバカにされたくない、ダメな奴だと思われたくない、うだつを上げたいなどというプレッシャーが、おおくの人にはあるんじゃないか、そしてそのプレッシャーがその人の人生の幅をせまくしたり、退屈なものにしているということがおおいんじゃないか。
 「ダメ問題」・・・いろいろなプレッシャーを抱え込んだ挙句に暴発すると秋葉原通り魔事件の犯人のようになる・・・ひとりひとりが多かれ少なかれ抱える「だめ」を一人で抱え込んでしまうと、「だめをこじらせる」・・・コミュニケーションの困難の悪循環・・・状態になる。「だめをこじらせる」前に、だめな人たちがお互いに交流してトークして生活・人生を変えていこう、だめ連はそんな人たちの交流の場としての交流会やイベントを立ち上げたりしている。別にイベント団体というわけではなく、あくまで中心は交流やトークにある。「だめ!」を読む限りでは、哲学の勉強会であったり、演劇やコンサート、たんなる飲み会、平日昼間の草野球、「デート部」などであったりする。だめ連をはじめた神長恒一氏とペペ長谷川氏はいずれも早稲田大学出身で、その活動は学生文化の延長線上にあるように思える。
 彼らの暮らしぶりを見ると経済的に豊かとはとても言えない。だが、とても楽しそうである。経済的価値とは人生の一側面に過ぎないように思える。あらゆるものが商品として供給される社会では、購入可能な商品の量・・・すなわち経済的所得に人生の豊かさが左右される・・・そんな風潮がますます強まっている。経済的尺度でみて下位にある人たちは「もっと金を!」要求することで今ある悲惨さを解消しようとする。しかしそれは人々をますます経済的活動に駆り立て、経済的尺度の絶対性を強める結果にもなる。だからといって、貧困問題や格差問題を容認しているわけではないのだが・・・、オルタナティブを模索して経済的尺度を相対化できれば、今ある「生きづらさ」もだいぶん和らぐのではないか、その一つのケースとして、だめ連・・・今はすっかり下火になってしまったようだが・・・も、いろいろと参考になるんじゃないだろうか。